side B/written by Hana/subtitle 双子愛
愛は傷つけ合うこと。いつくしみ合うことと
同義で、傷つけ合いもする。憎しみと愛も離れられない一卵性、のようなもの。
彼のお家の二階は、彼の為だけの空間として成り立っている。この家は絵の具で彩色されているみたい。いつも光っている。その光の家の二階の浴室で、私達はひっそりと魔術を行っている。
私達の間に横たわる、銀色のドイツ製のナイフ。変わりばんこに腕を、左腕の肘の内側を真一文字に切る。二人でしているのに、 切る時は一人の意識になる。武士の道の心構えで集中して息も塗り潰して互いに殺める覚悟で、切る、切る。切る、また切る。 重ねて切り続ける。
痛くはない。傷口が深まっていく程に痛くなくなっていく。だから限度がわからなくなる。
彼は冷静さを以って「今日はここまで」と言う。今日は、ここまで 。明日はどこまで?愛の行く末、導く先はどこにあるのだろう。 それは天国だと想う。
冷んやりとしたタイルの上に座っている。透明な洗面器の中に私達の血がボタボタと溜まって行く。これ以上ないくらいの、ひとつ。 私達はひとつ。セックスより余程に完全なる、具現化。
きっと誰も、神様も天使も妖精も、ありとあらゆる霊的な存在も生きてる人間も、私達を切り離せない。
彼は聖書の聖の字が名前になっている。最初は、「ひじり」と読むのかと思っていた。クリスチャンのご両親の宝ものであって、 名の通り聖なる人だ。隣人を助けること。 規律に従って生きること。
求められたままを実現する。
テストは満点しか取らずに、生徒会を当たり前に率いていく。私は彼の陰で守られているだけ。
「たから」と最初に呼んだ時、彼はじっとこっちを注視した。ドキドキするような、すごい目だった。魂まで視透かそうとするみたい な。
話すようになったのは、中学ニ年のクラス替えで隣の席になったから。それだけ。
けれど話すことが多く生まれて、毎日が楽しくなった。彼のおかげで。
たからとしか、話せない話をしていた。よく見る夢の話。闇の歴史や音楽史・美術史の話。哲学の話。
たからは、本をたくさん読んでいた。話すきっかけも、彼が読んでいたナチスドイツのエースパイロットの本のことが、始まりだったりした。
静かな声で一定のトーンで、優しく話す人だと思った。心が落ち着いている。さざなみも立たない、透き通った湖のような。
私は、たからがすぐに好きになった。好きに……というと少し違うのだけど、離れたくなくなってしまった。ずっとずっと一緒にいた い。
話をしていると、話が尽きなくて時間がどんどん、飛びすさってい く。
部活の後、公園で話をしていたら夕方になるのを待つ感じではなくて、夕方が追って迫って来てしまう感じ。たからは、夕方になると最初の頃は、「もう遅いから送って行く」と言っていた。 その内に「もう遅いから家に来れば良い」という言いかたになった。誘いでもなくて、なりゆき。
昼休みの図書館、放課後の屋上、体育祭準備の合間の体育館倉庫、 文化祭の前の時期の生徒会室、二人で部長をしている卓球部の部室、帰り道の公園。それから、たからの家。彼の部屋。
外で人前でベタベタくっつくことはしなかったけど、二人でいると、誰も近寄って来なかった。付き合ってると噂になっていたし、 私達が発している空気は、やっぱり変に甘いものだったのかも知れない。もしかすると、よくわからない悲愴感すらあったのかも知れ ない。
たからと二人だけになると、自然とくっつきたくなる。お互いの体温を、お互いに知りたくなる。たからは特に唇で、それを知ろうとした。私の手の甲に、あるいは手のひらに、背中に、項に、頬に、 首筋に、髪にキスの小雨が降ってくる。
彼といると、意識がぼおっと春霞のように遠のいていく。日向にいる心持ち。美しい時間。
初めての繋がりを試すのに、あまり時間はかからなかった気がする。けれど実際は、四月に出逢って十ニ月にお互いの初めてを越えたのだから、けっこう慎重だった気もする。 それが果たされるまでの間、毎日のように触れ合っていた。 体が接していなくても、心は通じていた。
けれど……
一度寝てしまえば、男の子にとってはそれが当たり前になるようだった。それをするのは毎日、毎日になった。
私は時々いらいらして、八つ当たりもしたし彼を試しもした。
今日はお腹が痛いから、明日にして。と言っておき、わざと彼の目の前で挑発の為だけに、自慰の素振りをしてみる。彼が一人で済ませたら嫌だから、気持ち悪いことをしないでね。と言っておく。
なぜなのか、なぜそんなことを言ったりしたりするのか自分がわからない。ただ、私には嫌な思い出があった。
6つの時。
おり紙を、ほしかった。
母が再婚した人は、買ってあげるからと代償としてコップの中に唾液を吐き出して
飲めと言った。
思い出した瞬間、私は吐いた。
たからが咄嗟に両の手のひらで、吐瀉物を受け止めようとしてくれた。何で、そこまで……?してくれるのかと思う。 喉に絡まった胃液の苦さ、痛みで激しく咳込む。
丁寧に、たからは唇と頬を拭いてくれた。寒いかと聞かれる。寒くない。
たからと出逢ってから、私の魂は寒くない。
たからの家に頻繁に泊まるようになったのは、私の家が変だってことを気付かれてから。
たからは私の家に来たがったのだけど、一度だけ連れて行ったら、それ以来閉口してしまった。
自治体の「雇用促進住宅」に住んでいた。狭いので、家では二世帯借りていた。私はお姉ちゃんと住んでいたけれど、たまにしかお姉ちゃんは帰って来ない。帰って来ても、彼氏を連れて来る。
たからの家に比べたら、本当にひどいものだった。自分の部屋より、たからの家の車庫で眠りたいくらい。
たからが私を見つけたのは、捨てられた猫を拾ったのと同じくらいのこと。
たからのパパとママ、ご両親は優しかった。私はお父さんお母さんと、最初から呼んだ。たまにパパ、ママと呼びたかったけど私の真実のパパは、天国にいた。ママはどっかに働きに行っていて、 たまにしか帰って来ない。
ママは変わった人だった。霊能者と呼ばれていた。山育ちで、「山に呼ばれる」とよく言った。山に呼ばれるのは、死ぬという意味に思った。だから怖かった。
山の近くで働いていた。一度行った。その時の職場は釜飯屋さん。 店員をしていた。その次は温泉宿の仲居さんをしていた。着物を着ていた。派手なお化粧で、まるで水商売の人みたいだった。
ママは社交的だった。色んな人の相談を受けていた。私が小さい時は、「知恵遅れ」と呼ばれる子供達を、家で預かっていたりした。
その子達は家で大暴れをしたから、私と姉は困っていた。
パパが死んだのは、私が三歳の時。クモ膜下出血だった。私はパパの瞼を、指でこじ開けた。目がないというか、光がなかった。 白目で、瞼の内側はすごく赤かった。
パパは天国に行ったけど、すぐ隣にいた。だから寂しくなかった。 ママは、でも、何年か寝込んでいた。三年くらい。
どこで出逢ったのかわからないけれど、ママは次のパパを見つけて来た。変な人だった。初めて見た時、気持ち悪くて不気味な影を負っていると感じた。姉は絶対、その人をパパとは呼ばない。私は、 口だけでは呼んだ。思いを込めずに。そして、 心の中で天国のパパに謝った。
家から、どんどんお金が失われていく。その人はパチンコ屋さんに通っていて、私もスロット台を打たされた。昔は、子供が打っていても何も注意されなかった。
パパの遺産も尽きて、電気やガスは止まった。小四の時はまだ、お米だけはあった。小五になると、調味料もなくなった。
給食と、友達の家で頂くご飯で生きていた。親身な友達が何人かいたし、特に親友の家ではお世話になった。
姉は十四才で年をごまかして、スナックで働かされていた。時々、コンパニオンの仕事で遠出したりした。わかりやすく、姉は暴走族にも所属してた。わかりやすく、金髪の彼氏がいたけど、 彼氏はとっても優しい人だった。
私は、ママの名義でテレクラのサクラという仕事をさせられた。大人っぽく話すことは、しなかった。その頃は、女子高生が援助交際を始める時代の、ちょっと前だったと思う。17才だとか、 適当に話した。普通に、OLや主婦設定でも話した。
男の人たちは、あんまり声で判断出来ないらしかった。声が若い、かわいいと言われたのでとりあえず褒められたと思った。私は、褒められた経験が少なかっ た。
彼らは会いたいと言うか、いきなり服脱いでとか言い出す。よくわからないから、絵を描いたり漫画を見たりしつつ適当に話した。 求められたのは、ピチャピチャ音とか喘ぎ声だった。だから、適当な効果音を作った。
私は小四辺りから今でいうAV、昔はエロビデオだったけど……などを観せられていた。残虐な内容もあったし、小さな子が道具を使わされているような、かわいそうな内容もあった。今だったら、そういうビデオを持ってるだけでアウトなんじゃないかと思う。
エロ本も同じく、大量に読まされた。写真だけのもあったし、小説もあった。わりと文が整っている本もあったり。
色んな性の形を知ったのだけど、何で彼ら、本やAVの登場人物がこうなったのか、よくわからなかった。理由はない人もいるらしかった。実録の場合と、作り物の場合もあるけど。
電話の仕事をしていると、何時間も話す人がいる。言葉で詰って、責めて欲しいという人。聴いていると、お母さんにいじめられて育ったと話してくれた。
逆にドSだ、みたいな人もいた。そういう人も、よく喋っていた。けっこう難しいことを言っていた。口が回る哲学者のような人は、ドS傾向ぽかった。寡黙な哲学者は、Mの感じ。
私は彼らの言葉を、なるべく丁寧に聴いていた。最後は会いたいとか、言葉で抜いてってなるけど。これも、一期一会だから。
たからと出逢ったばかりの頃は、まだ仕事をしていた時期。
たからといる時間が増えたら、だんだん、やりたくなくなった。だ って、たからはすごく大事に大事に接してくれたから。
ああいう仕事は、自分の心を押し殺さないとならない。自分が在ってはならない。だから、常に相手優先にしていた。
たからにも同じように、たから優先にしていた。そうしたら、たからは私の心の中を引き出そうとした。心を見ようと、努めていた。
それは、たからがかけてくれる言葉だったり仕草だったり、全部に現れていた。愛情だけで作られた毛布に、いつもいつも、くるまれ ているみたい。幸せ、幸せだ、と何度も思った。
たからはとても頭の良い人だった。勉強が出来るだけじゃなくて。 私の一つの言葉から、いくつもの意味を見出すようだった。
そんなコミュニケーションの仕方を、する人を他に知らなかった。 私たちの間では、言葉が重要だった。
たからの家と私の家との差がすごくて、頭が追いつかない。例えばだけど、家には飲み物もなかった。だから飲まなかった。蛇口から出る水は赤い錆が入っていて、カルキ臭いとかいうレベルじゃなかった。
たからの家にいると、立派な外国のティーセットで、本格的なアールグレイだのダージリンだのが出てくる。当たり前な感じで、たからは紅茶を淹れる。お茶だけの時間がある。
学校から帰って、きちんと私服に着替えて制服をハンガーにかけて埃取りなんかしちゃってるたからは、そういうふうに育てられている。身の回りを整えることは普通。
温野菜のような前菜を、ナイフとフォークで食べなきゃで焦った。 本で見たことがあるような気がしたから、それでテーブルマナーは乗り越えた。
たからのお母さんは、かわいくて面白い。上品な人。すごく、私のことをかわいがってくれた。普通、一人息子の彼女なんて嫌なんじゃないかな。粗探ししてしまったり。たからは、毎日くらいに私を連れて帰った。入り浸りだった。夕ご飯も出さなきゃだし、 嫌がられても仕方ないのに……。
その内、服を作ってくれたり下着を買いに連れて行ってくれたり、 髪を結んでくれたりした。編み物やお菓子作りを教えてくれた。
たからはすぐ呼び捨てしたけど、お母さんは今でも〝華ちゃん華ちゃん、わたしの娘ちゃん、わたしの小さなお嬢ちゃん〟と言う。
お父さんが特に厳しいと聞いていたんだけど、穏やかで温和な人だ った。たからと同じように感情が一定。怒ったり驚いたりしない。 客観性を常に持っているふうな。
絶対、怒鳴ったりしない。 私がまだ子供なのに、敬意を以って話をしてくれた。 私の話も真剣に聴いてくれた。だから、自然に涙が出た。 お父さんに、少しだけ家のひどいことを話した。
義理の父が、姉や私に抱きついてきたり服を破く話。お風呂を覗かれたり、日記を見られたり友達との電話を親機で聞かれたりすること。家に食事や暖房がないこと。制服やリコーダーや下着が売られてしまうこと。
お父さんの顔がどんどんどんどん曇っていくから、それより他のことは言えなかった。姉の下着で、義理の父が自慰をすることとか。 陰部を見せられたりだとか。体液を飲まされる話とか。 させられている仕事の話だとか。叩かれて顔が腫れたとかもっともっとあるけど、言えない。
話してたら、涙で前が見えなくなって言葉も出なくなって、息が出来なくなる。涙はポタポタ、フローリングに落ちてったくらいで、 お父さんは「もういいよ。よくわかったよ、華さん」と言った。
アイロンがピシッとかかったハンカチをくれた。涙を拭こうとしてくれたけど頭を撫でようとしてくれたけど、私がびくっとしたから、 それで全部察したふうだった。私は本当は、人に触られるのが怖かった。
お母さんには、そういう話はしなかった。お母さんは、受け止められない人だと思った。お母さんが、病気になっちゃいそう。
それに、性的な苦しみのことは遠い話過ぎて嫌に決まってる。 それに、それに、…… たからに近づくことが汚らわしいと思われる。お母さんがそう思わ ないようにしたとしても、心の奥底ではたからを汚さないでって思うんじゃないかしら。
ご飯を頂いていたからか止まっていた生理が来るようになって、それまた溜まっていた血なのかどうかわからないけど、大出血した。 私は初潮から重かった。ママが子宮筋腫だったし姉も生理が重いから、遺伝なんだ。
熱も出る。三十七度五分より高いから、微熱とも言えない。病院に連れて行かれそうになって、全力で拒否した。
体に傷がたくさんあるのを、見られたくなかった。誰にも。たからには見られたけど、言わないでと口止めした。たからは口を噤んでいた。
貧血で目が回って、天井がぐるぐるしている。トイレに行くにも立てないくらい。気分を見て、這ってトイレには行った。
お母さんは、お父さんが帰って来るまで家で寝ていてねと言った。 お父さんが帰って来た時、私は寝ていたらしい。次の日は学校を休んで、その次の日も休んだ。
ずっとたからの家にいた。
日曜日にお父さんが部屋に来て、寝たままお父さんに「パパ、 助けて」と言った。
私は、お父さんにはそれだけを言えた。
「まだ死にたくない」と言った。「パパに会いたいけど、 まだ天国に行けない」って言葉が出た。お父さんとパパがごっちゃになっていた。泣き過ぎてて、ちゃんと言えなかったけど。
お父さんがそれを聞いて、涙を流した。大人の男性が泣くのを、初めて見た。
学校や市役所、児童相談所に話が行ったけど
何か……無機質な人たちに何を言えば良いのかわからない。彼らには助けを求めるだけではなくて、されたことを逐一言わなきゃいけない。
そしたら今度は、その証拠が必要。 傷を見せないとならない。何でそんなことしなきゃいけないの。 同情なら、まだマシ。面白がったりする人だっているわ。 特に男が。
20代の役所の男性に、パンツが売られるとかパンツのにおい嗅がれるとか何人も他の人がいる中で言えって?
お父さんみたいな落ち着いた人だったり、初老の女性だったり、本当の専門家と一対一で話せていたら話したかも知れない。時代のせいだったのか、面倒臭がられてそれ以上聞かれなくて済んだ。 でも、それで良かった。言いたくなかった。恥だと思った。
たからに出逢わなかったらと思うと、ぞっとする。確実に私は今ここに生きてない。
たからは、あんまりにも、率直だった。私が愛して、と言ったらその通りにしようとした。でも愛って何なのか、私にも本当には、よくわからなかった。
たからは、忠実に守ろうとしてくれた。
いろんなものから。
悪夢を見て、飛び起きて、たからが誰だかわからない時があった。 二階で寝ていて、私の部屋になっていた一室をいつの間にか抜け出していて、たからの隣で寝ていた。
たからが急に触ろうとして来たから、怖くて怖くて、窓から飛び降りようとした。凄い力で制止されて、それがまた恐ろしかったので、二階の階段の飾りみたいな柵を飛び越えた。
お父さんもお母さんも起きて来て、電気がついて、両膝に湿布を貼って包帯を巻いてくれた。打撲だけで済んだ。痣はだんだん黄色と紫色になったけど、電気がついた時に「光の家にいるんだった」 と思い出した。
たからの彼女であることに、相応しくないとならない。勉強を頑張った。ご飯を食べたり、靴を買って貰ったり、大事に接して貰ってることが力に変わった。
今まで、最高でも学年で二十五番くらいにしかなれなかった。たからは一位から落ちることはなかった。問題を間違えるほうが変だと言った。たからはコンピューターみたいだ。たからに数学や理科の第一分野(化学や物理の部分)を教えて貰ったら、 八番くらいに入れるようになった。
一緒の高校に行きたかった。たからが進学校の理数科に行くことは 、確実だった。理数科は逆立ちしても無理だから、 普通科志望にした。
塾に行くことは出来ないし、今までも行ったことはない。
ワークと新研究という、学校で配られる問題集を繰り返しやっていたら、お父さんが市販の問題集を買って来てくれた。
英検と漢検を受けて良いと、お父さんが言ってくれたから、それぞれ三級とニ級を取った。
たからは数検を受けていた。準一級は高校の理数科卒業程度。それを取得していたし、珠算は一級だった。英検はニ級を取っていた。 それも高卒レベルだったから、たからとは脳の仕組みが違うと思ってしまった。
それでも、数検一級は理系の大学卒業程度だからなかなか取れないし、学者を目指すような子は十ニ才くらいで準一級を取るらしい。たからは「俺は凡人、天才ではない。 努力するしかない」と言っていた。
たからと同じ高校に合格したから、努力すれば実るんだと感じた。
私はたからの家で楽しく過ごしていて、勉強も頑張っていて、幸せに感じていたけど他の面では真逆だった。それと、物事には必ず陰陽がある。良い部分と、悪い部分が。
ママが月に一度は帰って来たから、テストを見せたり描いた絵を見せたりしたくて戻った。ママはいなかった。 いる時もあったけど冷たかった。どっちにしろ、 置き去りにされた気持ち。心の中心から冷えていって、 早くたからに会いたくなる。
仕事をしなくなったから、私からの収入が見込めない。義理の父は 私を裏切り者だと言った。何かの契約、したつもりなかったけど。
ただの暴力については書けるけど、性の暴力については多くは書けない。あっさり話したり書ける人は、もう消化したのかな。消化出来ない種類のことだと思う。
簡単に言うと、何度か「鞭打ちの刑」?だったのだけど、マジの鞭が出たこともある。しかも棘付き。真面目に死ぬと思うんだけど、 あれはジョークアイテムとして売られているらしい。
ベルトのほうが痛くない。金具が当たっても痛くない。骨に当たると、 振動や衝撃があるけど意識が飛ぶから痛くない。バカみたいなもん作るな、売るなと思う。
性の暴力については本当に書けない。あったことの全部は神様にしか話さない。聞くほうも嫌だと思うから。
たからのことを考えていた。たからには、言えない。言わない。たからは怒りを実行に移す。冷静に怒って、冷静に人を刺したりする 。しかも捕まらないようにやると思う。
でもどんな悪人にでも手を下したら、それだけの毒を貰う。そのくらい何てことないと言いそうだけど、人が人を殺めることは大変な罪なんだと、 私は知っていた。
お父さんやお母さんと、教会に行っていたからかも。たからはその頃、教会には行かなかった。教義が疑問だ、一人でしばらく考えたいと言って。
それからパパを想った。パパは天国から見えるんだ。パパの嘆きや苦しみ。パパが私より痛い思いをするのなら、そっちのほうが悲しい。
たからの家に入ると、目がくらむ。血が制服のブラウスに貼りついてる。このブラウスはお父さんが、新しく買ってくれたんだった。 お父さんに心の中で謝った。
痛くなかった。たからに気づかれないように出来るはず。
なのに、たからはすぐに「顔が青い、血のにおいがする」と言った 。生理だよと言うことも出来たけど言えなかった。なんか、もう、すぐに休みたかった。
部屋で着替えようとしたら、嫌なタイミングでたからがノックした。入らないで!と言ったのに、隙間から見えたらしく、たからは血相を変えてドアを開けた。
部屋に入って来たたからは、棒立ちで、片手ずつ顔を覆った。指が震えてた。泣いてるのかと思ったけど、違ってて怒りで震えていた 。そんな反応を、たからがしたことが、すごく怖かった。
誰にも言わないで、と言った。私の声は囁きにしかならないんだけど、自分でもびっくりするくらい低い声で、変な凄味があった。私の声なんだけど、違うみたいな。
たからは、泣き出しそうな目になってた。初めに大きな傷を見られた時、たからは泣いた。「どうして、華が」と言った。 私じゃなければ良いのかと思った。
世界で誰かが、今も、 これ以上の目に遭っている。私がたまたま、この人生でこの傷を負う課程があっただけ……。もう済んだこと。たからは、私じゃなければ泣かないのかなと不思議に思う。
たからのことは大切だし、好きだし、受けた分の愛情を返したい。 たからといると、あたたかい。
それなのに、たからは何にも知らないんだと思ってイライラした。 世界の影になった場所を知らない。光の子だもの。望まれて、光を浴びている。
もっともっと重たいものを、たからに被せたい。私が死んでも忘れないように。忘れないで生きて、苦しみを持つ人を助ける人になって欲しい。私、もう死にそうなんだもの。 たからを好きな気持ちとは別。永久に好きだけど、 体を生かすことを持続させるのは、どうしてこんなに難しいの。
たからに、傷を作り変えてと言った。たからの手で傷つけられた傷に変える。そうしたら、たからからの愛の証だと思って死ねる。 そのまま死んでも良い。傷を抉って、全て忘れさせて欲しかった。
だって、たからの愛の告白の仕方は変わっていたから。私の体を食べたいと言った。内臓も食べたいんだって。血が命そのものに思える、祖先の記憶を持って流れている、だから全部飲み切ってしまいたいと言った。
魂の世界に、ぶ厚い記録書みたいなものがあるとする。たからが私を愛の変容で殺したら、殺めた者・殺められた者として記憶される 。理由は愛した余りに。そういうことを言いたかったんだと思う。
たからはどこまでも忠順だった。
かなりの強さで、皮膚を切り取るように何か月もかけて、たからの傷に作り変えてくれた。
胸を触られるのは、苦手だった。たからの手でも嫌だった。痛いし怖い。彼氏に触んないでと言うのも良くないと思い、我慢していた 。男の子はいつまでも赤ちゃんの記憶を残してる。何でおっぱいが好きなんだろう。男は胸が膨らまないから?
噛まれたり舐められたりも嫌だった。何でか、胸のほうが恥ずかしかった。
あんまり恥ずかしがってるとそっちに集中されるから、こっちから気持ち良くさせる戦法を取っていた。耳や首、胸もおしりも、一番集中して男の子の大事なところを舐めていた。
勢い良くやる時もあるけどほとんど、チロチロと優しく長い時間をかけて、まるで食べるようにしていた。好きだから、やるんだもの。愛を表したいから、するのだもの。
男の人たちは、音が大事らしかった。たからは耳が聡いからか、特に音だけでもう、大変らしかった。好きな人に、他の人にはされないことをずっとされたら、気持ち良すぎて苦しいよね。
たからには、言葉が重要だともわかっていた。私は当たり前の反応について、丁寧に何回も何回も、バカみたいにしつこく聞くことにした。
---どうしてここが大きくなるの?我慢はできないの?どうして 我慢ができないの?舐めてほしい?手でいじってほしい?咥えたらあなたはどうなるの?飲んでほしい?飲んでほしいなら、ちゃんと言って。言葉で。
たからは、苦しそうだった。私のことを好きで好きで好きで、おかしくなりそうな顔。嬉しかった。かわいいと思った。もっと、したかった。賢い優等生なんか辞めて、おかしくなっちゃえば良いのに。
たからの匂いが好きだ。服や、シーツや枕についた匂いも。
たからの体の下で、目を瞑る。私は寝てるだけ。今は完全な受け身。 楽。痛くもない。気持ち良いかはよくわからないけど、たからが死にそうなふうに体を動かしているから、とても嬉しい。全身で好きだと言われているみたい。嬉しい。
たからの汗を舐めてみる。味はしない、しょっぱくも甘くも苦くもない。なのに、美味しいと思ったから、私はたからが、きっと大好きなんだろう。
だんだんと脚が痛くなる。でも、良いや。折れても良い。たからは、生きるか死ぬかみたいな顔をする。この時間だけ。この瞬間だけ。
命がけで生まれて来る赤ちゃんを、なんでか連想する。たからは生まれ直したような表情を、最後にする。私も何かを更新された気持ちになる。だから、またやりたいな、早くしたいな、と思う。
でも、たからの心の全部が私だけのものと思えるのは、いやらしいことをしている時だけだ。あんなに全身を愛してあげたのに、シャワーで洗い流してしまえばたからは、またコンピューターみたいに計算を始めたり、私にはわからない難しいことを、考えている顔になった。
レストランでバイト始めて、お金を稼ぐ実感を持った。トレイを運んだり、お店を掃除したりお客様から注文を受けたり。思ったより力仕事だった。バイトが終わる時間には、フラフラした。
バイトの後、夜だったらお父さんがお迎えに来てくれた。お父さんの車が大きなベンツだったので、バイト仲間に勘違いされた。 お嬢がバイトしてんのか?とか援交のパパか、とか。 彼氏のお父さんだよと言ったら、バイトする必要なくね? と言われた。
お父さんは、確かにバイトにはあまり賛成してなかった。たからも 。お母さんは、そうでもなかったけど。
お父さんは、意味なくお小遣いもくれた。たからの部屋に、私の猫型の貯金箱を置いていた。そこに入れた。
たからも、貰ったお年玉やお小遣いは、引き出しにまとめて無造作に入れていた。時々、銀行に寄って預金していた。
私のお金も、たからの口座に入れてと言った。家には持って帰れない。盗られてしまう。たからにはパンや飲み物を買って貰ったり、 ぬいぐるみやハンカチを買って貰った。だから、たからの口座にお金を入れておいて貰うのは当たり前に思った。
でも たからは私の貯金箱のお金をそのまま、置いておいてくれた。
バイト代は銀行振込だったから、口座を作った。五月の中旬から勤め出して、最初のバイト代は三万ハ千円くらいだった。お父さんとお母さんにお金を下ろして持って行ったら、受け取れないと言われてしまった。
姉は妊娠して、結婚する事になったのだけど
姉の婚約者の実家が、結婚式のお金をほぼ負担していた。ママは六十万円を姉に渡していて、あちらのお家がニ百四十万円くらい、結婚式のために出すという話だった。
結婚って、お金がかかるんだと知った。たからと結婚するにも、きっとお金がいるんだろうな。
進学にも、お金が必要。困ってしまう。どれだけ働いたら良いんだろう。
ママは、なぜか私にも六十万円をくれた。あんたの口座に入れておきな、と言われた。六十万円というのは、私にとって途方もないお金に思えた。
お金は怖いものだと思っていた。たからに、ママから六十万円貰ったと話した。でもたからは「そんなのすぐになくなるんだよ」 とあっさり言った。私は銀行のカードだけはお財布に入れておき、 たからに通帳と判子を預けていた。
私はたからを信用していたし、たからも私を信用していた。だけど、お互いの通帳の中まではお互いに見てなかった。引き出しは、 自由に開けて良かった。二人の共同の場所。
私達は子供だけど、すでに結婚しているような感覚がずっとあった。
たからが大人になったら結婚したい、と思っているのはわかっていた。
でもそれは、このまま大人になれればの話。
バイトをしているのは、生きてく為だった。働くのは生きていく為 。けれど働くそばから、生命の力が失われていく気がする。 何でだろう。私には何かが足りない。
周囲とのズレがあった。学校でも。
「華は普通じゃないんだよ」と、たからが言う。だから好きだよって意味で言ってるのは、わかってる。普通じゃないのは私もわかってた。小さい時から、私は変だったから。
自分でも、何が変なのかわからない。たからは頭が良いのだから、わかってくれるはずと思った。なのに、たからにもわからないらしかった。わからないから、好きになったとも言ってくれたけど。
理数科の人たちは、とりあえず女子や、普通科の子をバカにしてた。目つきでわかる。言葉でもわかる。
逆に私は、彼らをバカにしていた。まともに恋愛も出来ないで、人を大切に思えないでいて、生きることや死ぬことをきちんと考えたこともないくせに、秀才とか天才とか簡単に言われてきた人たち。 天才ってのは、もっと違う人を言うのに。天から頂く才能を、小さく見過ぎだ。
普通科の男の子で、すごい無口な人がいた。普通科の中では、優秀な人。背丈は中くらいなのに、猫背だからか小さく見えた。男だけど、髪が長かった。
その人、田中君というのだけど選択美術で、油絵を描いていた。それ、何の絵?と話しかけたら、ボソボソ答えた。クリムトの苦悩、だって。
田中君は前世でクリムトの友達だったのかな、心がオーストリア出身なのかもよ、と言ったら、真面目に話してるのにニヤーッと笑われた。
絵を描いている男子は、視界が真っ直ぐで深いから好きだった。中学の時も、線描画を描いていた久住君という子によく話しかけていた。彼は美術部だったので美術室にしょっ中、行った。たからが二人きりでいるのは止めろとうるさかったから、行くのは止めた。心配しなくても、久住君は私に興味がなかった。絵だけにしか。
田中君は、私に、じゃなく女子に興味があったんだろう。
私は一人になりたいから、保健室や図書館やトイレ、屋上にいつも行った。田中君は、トイレ以外の場所には時々、ついて来た。
お弁当も、食べたくなかった。たからのお母さんは、小さめのお弁当箱にサラダや煮物、果物を詰めてくれた。私が食べられる物だけを。
家に食べ物がなくなった辺りから、あんまりご飯自体を食べたくなくなった。体と心の防衛だったのかもしれない。
田中君にお弁当をあげたら、食べていた。食べさせて、と言われたから食べさせてあげた。嬉しそうにしていた。子犬みたいだった。
田中君は、たからのことを知っていたので見つからないように、コソコソしていた。貧血で保健室に行ったら、ついて来たので放っておいた。具合悪くて、田中君どころじゃない。
上履きと靴下を脱いで、ベッドに入った。靴下は、たからがハイソ派だったので履いてたけど、寝る時は裸足が良かった。 そしたら田中君はじぃっ、と足を見ていた。
足。たからは足や脚を毎日のように、舐める。それで、うっとりしている。脚が好きなんだと思う。田中よ、お前もか。
田中君は、単に肌を見てるっぽかった。それから、抱きついて来た。こんな時に、他に休んでいる人も保健室のおばちゃん先生もいない。
全然、抱きつきかたがわかってない感じだった。肋骨が痛かったから、痛い!!と言った。田中君は手を離した。ごめん、ごめんねと謝って来る。
貧血で気持ち悪いのに、田中のせいで尚更具合悪くなりそう。その後、たからが来たけど勘違いされたようだった。別に何もしてない。私からは何も。それより具合が悪かった。
たからは、束縛と嫉妬がひどかった。バイト先にも、上りが夕方なら迎えに来る。バスで来てくれて、近くの本屋さんに寄って待っていたり、やっぱり近くの喫茶店にいたりした。レストランには、あまり入らない。
何回か、お客様としてお父さんお母さん、たからが来てくれた。たからはレストランの制服を見ていた。深緑のワンピースで、白襟で膝丈で、白い短いレースのエプロンつきだった。靴は学生がローファー、社会人はローヒールと決まっていた。
クリーニングに出すため制服を持ち帰ると、部屋で着てくれと言われた。クリーニングから返って来た制服じゃないと、ステーキの臭いが気になるから嫌だとか、わがままを言っていた。たからにとって、 コスプレみたいなもの。それで、脱がせて喜んでいた。
PHSは、バイトを始めてから自分で買った。契約の時は、お父さんに同席して貰ったけど。そのPHSの中身を、たからは堂々と見ていた。私も別に、見られて困ることはなかったけど、 バイト先の大学生、フリーターなど男の人の名前の登録には、たからはいちいち質問責めを始めた。単なるバイト仲間、先輩だけなのに。
店長が、時々電話で人生相談みたいなことをしてくれていた。店長はおじさんだからか、たからは何も言わなかったけど「夜には電話しないでくれ」と言われた。言われなくてもたからといる時間には、しなかった。
女子高生ってだけで、街にいると変なナンパがある。
バスを待ってるだけで、乗せてくよ?と、おじさんが車を止めて話しかけて来る。怖いので、首をふるふる振った。
ベンチにちょっと疲れて座っていると、失礼だったらごめんなさいね、遊びませんか?と言って来た。大人が。子供に。
お小遣い足りてる?とか、何か良いことないかなー、とか話しかけて来たりする。もっとヒネリはないのかと思う。大人なのだから。
これからバイトです。としっかり断ると、何もされない。一応、大人だからだと思う。
危ないのは、学校だったかもしれない。
理数科の先輩が、二人来て手を引っ張られた時がある。理数科の校舎だから道がよくわからなかったけど、化学準備室か何かだったはず。二人には、迷いや恐れがあった。それを感じた。
だから、 先輩は受験大丈夫ですか?と聞いた。何をされても別に良いやと思った。これは、たからに話せる種類だった。
大学進学を棒に振るほど、バカじゃないってこと。彼らは、困った顔をしていた。その先輩たちは、今まで優しかったけど、それから話しかけて来なくなった。クマのキーホルダーをくれたりしていたけど、すぐにたからに捨てられた。
生理前になると、こういうことにイライライライラした。男全体が嫌だった。目に入ってくる男の目を、潰したいくらい嫌だった。 私は何もしてない。誘惑なんかしていない。
たからが、「お前は奴らを誘惑するために動いている」と言った。 たからまで、そんなことを言う。悲しくなり、泣いていると、たからはそこからすぐにエッチに繋げる。「誘いたいから泣いているようにしか思えない、そういう泣きかただ」と言われた。意味がわからない。
そして、困ったこと、たからを信頼できないかもしれない、と思ったことが起きた。
信頼というより……たからは私が好きじゃないのかもしれないと思ってしまった。私を守ってくれないかもしれない 、と。優しくなくなったのかもしれないと思った。
理数科の人で、たからの友達がたからの家に出入りするようになった。その時は、その人が誰なのか全然興味なかった。 田中君のほうが、良い絵を描く分、興味あったぐらい。
男友達同士で遊んでるんだろうから、構わないようにした。中学の時のように、男子に混じって遊ぶことは、今は嫌になっていた。
たからの友達なので、賢い人のようだった。けれど暗かった。明るく見せてるけど。寂しそう。寂しいからだと思うけど、たくさん話しかけて来る。華ちゃん、と呼ぶ言いかたが、甘えた感じだった。 イライラしたので、馴れ馴れしく呼ばないで!と言ったりした。
その人が、私のいる部屋にいきなり入って来たことがあった。
たからの部屋じゃなく、たからは客室の一つで、その人と遊んでい た。
無言だったし、こっちも何も言う暇がなかった。その人、しゃがんで首をかしげて、何でもなさそうに、まず服の上からブラのホックを外した。無言で。びっくりしたので、ホックを直そうとしたら片手で私の両手を掴んだ。それから、さっと馬乗りになってたから、 もうどうやっても動けないとわかった。
乱暴だった。なんか、恨みか何かを私に感じているのかと最初に思ったけど、そんなはずない。キスは慣れてるようだったけど、嫌だから口を必死に閉じていたら歯が当たって痛かったようで、ムカついたみたいに噛まれた。
服の上からだけど胸を触られたからそこで初めて、ぞおっとした。
たから!たから!!
大きい、声で呼んだ。何度めかに、私は叫んでた。
たからは、 ……来ない。
来なかった。
どうして、という不思議だけで頭がいっぱいになった。その人は次々、いろんなことを聞いて来た。コミュニケーションの言葉じゃなく、その人が楽しむ為だけの言葉。
たからはいつもどんなエッチするの?というのと、妊娠しても、たからの家で育てて貰えるでしょ、というのと、たからはお前と結婚したいから子供が出来る率を高めようとしてんじゃない? というのと。
よくわからないことを言ってる。嫌だったのは、お前は貧しい家の子だから、たからが、ここに置いていつでもヤれるようにしたんだよ、って言葉。たからとの関係や、中学の時の話は同中出身の人が噂を流していた。
その人、避妊してなかった。それにも、レイプにゴムなんか要らないよ、と言った。
しばらく、そのことがあってから私はぼんやりすることが多くなった。光の家の中なのに、悪夢を見る。
たからが部屋にいて、その人と私がしてたことを見ていた時が一度あった。それで、もう たからとは終わりだと思った。そうしたら、たからは、泣いて謝って来た。文字通り、私の足にしがみつくみたいにして謝って来た。 何なの。一体、どういうことなの。
一緒に死んでと言ったら、たからは「わかった」って答えた。
「殺してくれ」と言われたこともあった。そんな重大なことを、簡単に口にしないでよ、と思った。
たからは、死ぬ寸前の場所を知らないじゃない。と心の中で思った。
小五の時に、お腹の辺りを義理の父に包丁で切られて、血がいっぱい出た。死んだと思われたらしく、しばらくそのまま一か月くらい放置された。
あの時は、何日も何も食べられなかった。体が沸騰したような熱が出た。死ぬんだと思ったけど、怖くなかった。 トイレなんか行けないから垂れ流ししたし、水がなくて水分だけは、冷蔵庫の中に玄米茶があったけど、もう悪くなってた。 腐ってはいないと思うんだけど、そのお茶を舐めていた。
手の届く範囲の棚に、固まった黒飴と何年も前のチョコレートがあった。チョコは腐らないという話を知っていて、迷信だと思ってたけど少しずつ齧るしかなかった。味なんか二の次。
お供えみたいにして、何日も経ってからリンゴとお菓子を置かれた 。だから本当に死んだと思ってたのかな。謎だ。
それを少しずつ少しずつ、食べきる前に体を引きずって歩けるようになった。
飢死する直前は、お腹なんて空いてないんだ。
死を目前にしたら、光がちらちらと見えた。死ぬには、神様に会うことを通過しないとならない。私はまだ、その時じゃなかったってこと。
そういう大事なことを何も知らないくせに、簡単に殺してとか、言うなと思った。たからは私に甘えていた。
たからの友達は、それからも頻繁に来たけど突然来なくなった。
きっかけはわからない。二人が喧嘩したのかと思う。
私は、その人を好きじゃなかった。でも嫌いとも言えなかった。
嫌なことを色々言われたし、同時に嫌なことをされた。避妊は一回もしてなかった。妊娠すれば良いじゃん、と簡単に言われた。 その人は、妊娠というものが何なのか本当には、 わかっていなかった。当時の私もわからなかったけれど。
怒ったり痛がったりという反応をすると、あはは、かーわいい、とか言われるから無反応を心がけた。けれど息が切れたり、不意に乱暴なことをされると声が出てしまうから、どうにもならない。 どうしようもない。
たからが、死にそうに生きる…ような、最中に死を想うような、生きろ生きろという教訓的なメメントモリなセックスをするのとは対象的で、この人は、ただただ動物的な感覚だった。エッチというよ り、ファックという感じ。つまり、軽いし俗っぽいし簡易バージョン。遊びだ。
一方で、それをしないと自殺しそうな。ジャンキーのような…...。もしかしたら、私もそう。同じだから、こんな変な人を引き寄せたのかも、と思った。
学校の体育館の倉庫の奥に、縁の下に通じる道、空間があった。
埃っぽい所だったけど、外の匂いがした。秋の夕方の外気で、肌寒かった。切なくなるような、このまま心が死にそうな香り。
お尻は初めて?そっちは処女?と聞かれた。たからはとっくにそんなの、試してたけど言わなかった。
何日もかけて、ゆっくりやらないと駄目なのにその人、何とか唾液をローション代わりにして無理矢理に入れようとした。この時もたからに助けて、と思ったけれど、たからは来なかった。
痛かったの はお尻ではなくて、お腹だった。寒くて歯がガチガチ鳴るくらいだった。涙がたくさん出た。その人は、基本的に笑ってた。 笑いながらやってた。
頭の中に、何の前触れもなく映像が広がったから、そっちを見るようにした。痛くなくなったし、寒くなくなったから。
その人が、女性の陰部を舐めている映像、頭を撫でられているというよりは、押さえられて舐めさせられている映像だった。 制服だった。女性に対して、先生と呼んでいる。これは、 この人の妄想?それにしては、つらそう。
先生と呼ばれている人の顔が、だんだんと変化していく。あ、この人のお母さんの顔だ?と、気づく。どういうこと?この人の悪夢? それとも現実にあったこと?
ぎゃあああ、という声を上げて、その人が目覚める。これが、この人の悪夢なのか。
ポケットティッシュだけでは、血が混じった精液を拭いきれなくて 、下着で拭う。下着でティッシュを包んだ。それを、貰うよ、と言ってポケットに私のパンツを入れていた。急に優しくなったようだ 。
血に驚いたのか、何度も謝ってくる。その人の手が、髪を整えてく れた。本当は優しいのだろうか。
キスしても良い?と聞かれた。わからないと答えた。たからに聞かないとわからない。まだ別れてない。
あんな奴、やめれば?と、たからの悪口を言う。たからのことを、 悪く言われたから泣いた。
スカートの下に寒い風を感じながら、泣きながら帰った。
こういうふうに、男の子にされるってことは私が悪いか、義理の父が悪いんだと思っていた。
私は、自分を鏡で見る度に死ねば良いと思っていた。
義理の父を殺す夢を、よく見た。
たからの家で、お母さんが新しいワンピースを着せてくれる。高価な物だとわかる。生地が厚く、凝った刺繍が施されている。
たからがピアノを弾くのを、絨毯に座って見ている。窓の外は、雨が降っている。とても寒そう。ここは今、守られている。
このままだと、この家から出たら、どこかで自殺をしそうで恐ろしい。手足が震えるほど。
このお家では、死なない。たからを傷つけてはいけない。お父さんお母さんを悲しませてはいけない。
たからが発表会で弾く曲、リストのマゼッパを練習している。凄く難しい曲。こんなのを暗譜できるくらいに、たからは優れていて将来が有望な人だ。邪魔をしてはいけない。
この違和感は、なんだろう?
何に対しての違和感なのだろう。
私は、生きることに違和感がある。だから変だと言われるのかも。 生きている人より、霊に近いと、たぶんずっと前から思っていた。 もっと小さい時から。
涙が止まらない。私は不安定だ。たからのように心を統一できない 。
たからは、私が泣いているとすぐに隣に来る。
一生好きでいてくれる?一生、愛していてくれる?
言葉が表しきれないことを、尋ねていた。
たからは、二回頷いてから涙の落ちそうな目で「華が死ぬ時は一緒に死ぬ」と答えた。
中学の時の友達、しーちゃんに高校での話、たからの話をした。全部ではないけど。
たからのことを、理解できない、別れたら?と言われた。
自立したい気持ちを言った。しーちゃんは、ゆうちゃんのお父さんが不動産会社に勤めているから、相談しようと言ってくれた。
ゆうちゃんの家に泊まったり、しーちゃんの家に泊まったり、バイト仲間と朝までカラオケしたり、あまり、たからの家に帰らなくなっ た。
自立に向けて動いていて、ゆうちゃんのお父さんに少し事情を話して、アパートを借りるお手伝いをして頂いた。
保証人に、義理の父を「使った」。
家を出て行くし、学校も辞めると言った。生活費や学費がかからずに、楽になると思ったらしい。姉が結婚したから、私が姉と暮らしていた部屋を解約すると言っていた。
引越し屋さんに頼まず、バイト先の先輩にレンタカーを運転して貰い、少ない荷物を運んだ。
アパートの家賃はニ万ハ千円で、契約時の費用は全部合わせても十五万円くらい。
新しい家具、通販の安いベッドやテーブルを入れて、総費用は二十万円くらいだった。バイトしながら、何とか生きていけそう。
けれど、すごく怖かった。生きていこうとする気持ちも。怖かった 。
たからの家で休む夜、たからは繋ぎ止めようとするように、荷造り用の ロープでぐるぐると縛った。私の体を動けない状態にしておいて、 しばらく眺めていた。
一晩の間に、口も下側もたからの出したもので溢れる。たからは「全部飲んで」と言った。飲むのは構わないけど、中に出してからティッシュを詰められるのは何か嫌だった。落ち着かない。 何でこういうことをされるのか、わかるようでわからなかった。
それでも、ぎゅっと抱っこされて包まれて眠る時は、たからと離れたくなくて涙が苦しくなるくらいに出た。離れたくない。怖い。 外が怖い。たからに縋って生きていけたら、どんなに楽だろう。
たからには、何も伝えていなかった。伝えるつもりが、なかった。
高校を辞めた。
ママがたまたま帰って来ていたから、学校を辞めたいと言ったら一緒に担任の先生に会ってくれた。
たからには、もう会えないとか会わないとか思ってたんじゃなくて 、今は離れたほうが良いと思った。
私はたからに甘えていたし、たからも私に甘えていた。これじゃあ、お互いにダメになりそう。どっちか死ぬか、どっちも、死ぬか。
たからの友達とのことは、私が悪いと思っていた。最初は避けようがなかったけど、その後もその人と話したり、会ったりしてたんだから。
たからがいつもいつも、守ってくれるわけじゃないのに、守ってくれるはずと期待していて、そんなだから、私は弱くなったんだ。
もういつでも、住めるようにしていたアパートの六畳の部屋で、泣きながら眠った。
たからのところには、戻れない。私はこれから、ひとりで闘わないといけないんだ。
前のバイト先の先輩、ニ十ニ才の人とすぐに付き合い始めて、いつ の間にか別れて、次のバイト先の人と付き合って、その人とも別れて、骨董品店に就職したことで、四十八才の人、それから六十三才の人とも縁があった。
寂しくて寂しくて、たからじゃない人で寂しさが埋まるかと思ったのに埋まらなかった。男の人たちというのは、甘えさせてくれるのではなくて甘えて来るばかりだった。かなりの年上でも。
たからと再会したのは二十才になる一か月前。約四年後だった。
寂しくて気が狂うかと思った夜、隣にはたからじゃない人がいた。 それでも、私から離れたのだから。甘えずに強く生きて行こうと、 思ったのだから。たからに連絡を取ることは、出来ないと思ってい た。
体調も悪かった。何かを食べることが、ほとんど出来なくなった。 食べていたのは、じゃがいも。大根。キャベツ。柔らかく煮て、そのまま何もつけず、少しずつ食べていた。
果物も食べたけど、私は食事する権利がないと言われて育っていたから、その言葉を思い出して吐く時があった。それから、胃腸が弱くて吐いたり下痢をしたりもした。
たからの家に置いて貰っていた日々は、夢での出来事。その頃にも、これは夢だと思っていたけれど。本当に、現実の日々ではなくて 、見ていた夢の世界であるかのようになってしまった。
三十キロを切ったら入院と言われていて、たからに会ったのはニ十九キロの時だった。私は、自殺をよく夢想していた。死んだら、楽になる。
年末の街の中の本屋さんの辺り、混雑している道で急に、左腕を掬い取られるようにして引っ張られた。
一瞬、また、幽霊かと思った。
時々、死んだ人が普通に話しかけて来る精神状態で、心療内科で話したら幻覚幻聴とカルテに書かれた。なので、誰かに話すのは止めた。
よく見ると、たからだった。
背が高くなっていたのと、髪が長くなっていたのと、髪が茶色になっていた。顔は変わってなかったけど、大人っぽくなっていた。
華?じゃなく華!と、すぐに呼んだ。それから、
「今までどこにいた?」「何でこんなに痩せているんだ」と言った。たからの声だけど、いっそう低い声になっていた。
たからの雰囲気は、変わっていなかった。
近くの喫茶店にずるずる連れて行かれて、色々聞かれた。今の住所とか。何だか、答えないとこのまま、たからの家に連れ戻されそう 。一人はつらいけど、たからに連れて行って貰おうとは思わなかった。ちゃんと自立して生きてるんだよ、と思いながら勤務先の骨董のお店も教えた。
パフェを食べさせられた。スプーンで、以前のように口に運んだりする。目が、好きな人を見る目だった。たからは別れたつもりがないんだ。
「送っていく」と言うから、「歩いて帰る」と言った。歩けるのか ?そんな体で歩けるわけがない、バスは?タクシー捕まえる?と、 とにかくうるさい。優しいけど、がんじがらめにされそう。
その夜にメールが来て、普通に「おやすみ」メールを返した。
次の日、「会いたい」と来た。
やっぱり、別れた気じゃないんだ。
たからは、東京の大学生になっていたから地元には長くいない、というのがわかっていた。お年始が済んだら、東京に戻る。私のアパ ートに来てくれたけど、骨董のお店で良くしてくださるお客様のおじいさんが来ているのを察したら、すぐに帰って行った。
毎日たからから、長いメールが来た。よく読んで、返信を考えて書いた。言葉での触れ合い、やり取りは楽しかった。
一週間に二、三回くらいは、電話もしていた。しかも長電話だったから、たからが勘違いしてもおかしくない。私は、誤解をわざと招いていたのかもしれない。
エッチな話もしていた。たからは言わなかったけど、彼女がいるというのはわかった。
私は、たからと色んなことをしたこと、 忘れていないよと話した。ありがとう、という意味。 愛をくれたこと。けれど、たからは吐息なのか溜息なのか言葉にならないのか、苦しそうな声を少し洩らした。
そのすぐ後、「まだ付き合っているつもりだ。華しか好きじゃない 」というようなことを、電話で言い出した。
色々言っていたけれど、キリがないから
「たからのエッチの仕方が嫌い、痛いことや苦しいことをする、怖いこともするし、それを笑って見てるから嫌い」と言ってしまった。
実際は、どうだっただろう。たからはロープで何度も手首や足首や両脚 を縛ってから、後ろから入れて来たりした。
苦しいのか気持ち良いのか、混ざっていて、よくわからなかった。
気持ち良い後に、死んだみたいに動けなくなった。それは、癖になる強さがあったけれど依存する気にはならなかった。
どうして、たからは、こういうふうにするのかな?と思っていた。
支配欲や独占欲の現れだと思っていたけれど、単純に女の子を苦しませるのが好きなんじゃないかしらと思った。たからの友達と同じ 。類は友を呼ぶ。
たからと話しながら、首を絞められて気絶してしまったことや、息が出来ないのに口を押さえられていたことを思い出して、息継ぎが出来なくなって来た。
だから、その日は話が済んでいないのに電話を切ってしまった。
たからは諦めていなかった。メールも電話も続き、間を空けては口説いて来た。
たからと会う前、会ってからも自殺未遂や自殺未遂に似た自傷をしてしまっていた。山で首を吊って、紐が切れてから……病院の先生が言うところの幻聴と幻覚が続いていた。
幽霊に会ったことがない人は、何らかの理由を持ち出して否定するけれど。幽霊は、触っても来るし予言もしていく。 呪いの言葉も吐く。
部屋のドアノブには、いつも首吊り用のロープが下がっている状態 。バッグの中には、いつでもどこでも吊れるように紐を入れていた 。犬の散歩用のリードが、首にフィットしたから持っていた。
おかしなことが、たくさん起きた。
お財布の中のお金が、万単位で一日で消えたり。一人暮らしだし、 勤務先には小銭入れしか持って行っていない。盗まれた、とかじゃない。お金は頻繁になくなった。
私の買ったものじゃない物、例えば押し花作り機みたいなオモチャが、部屋にあったりした。ホワイトボードに、 変な絵が描いてあったり。
幽霊と一緒に暮らしてる感じだから、そのせいかなと思ったりした 。グチャグチャだった。知らない男の人から電話が来る。 オレオレ詐欺のようなもの?
そんな頃、ママが倒れて手術になった。くも膜下出血。死んだパパ と同じ病気。
でも、ママは一命を取り留めた。血管が切れた箇所は前頭葉の付近 。大変な手術で、二週間くらいママは防止帯でベッドにいた。 脳の手術の後は、動き回るから。個人差があるらしく、 病棟で一番暴れていた。
ママの担当医は、脳外科の部長だった。その病院では、偉い先生らしかった。
とても冷静な人で、優しかった。
恋をしてしまったのは、先生が明らかに気のあるそぶりをしていたからだと思う。
不倫することについて、どういうことなのか深く考えていなかった 。人は生きていく中で、罪を犯すものだけど、どんな種類の罪なのかを最初に考えるべきだった。恋することが罪になるとは、 思っていなかった。
先生には、手紙を二回渡した。一度目は、ママの退院の時に。お礼状を。二度目は、先生のことが好きです、という手紙。
メールアドレスと電話番号を最後に書いておいたら、次の日に電話が来た。デートの約束をして、そこから付き合うことになった。
先生が四十八才、私が二十三才。
医師だからか、体の症状も把握してくれた。体調が悪いと、すぐわかってくれた。
時々、記憶が抜け落ちている時があると言ったら、先生の顔色が変わった。健忘かと思っていたけど、先生の言いつけ通りに、 毎日の出来事をメモしてみたら、相当、変な生活をしているとわかった。
『月曜日、朝起きて、仕事に行って、夕方終わった後に本を二時間読んで寝た。』
『水曜日。仕事が休みだったので友達と十時から十九時まで遊びに 。具合が悪くなったので、途中で帰った。二十二時帰宅。』
月曜日の夜は、何をしてたんだろう?二十時くらいに寝たってこと ?
火曜日は何も書いてないし……
水曜日、十九時前に帰って来たんじゃなくて?十九時〜二十二時は 、どこにいたの?
そんな調子だった。筆跡がその日記には、三種類あった。先生は大学病院の後輩の医師、精神科の医師を紹介してくれた。
乖離性障害と最初にすぐ、診断された。検査をたくさんやった。液体を垂らした模様の絵が、何に見えるかとか。樹を描いたりとか。 文章の穴埋めとか。知能検査も。
正式な病名が出て、それが乖離性同一性障害だった。障害者手帳が出る、障害年金も出ると聞いてショックだった。私は、 病気だったのかと思って。
病気がわかったからなのか、先生とは別れの気配があった。最初から長続きするなんて、思っていなかったけど。
会えるのは一週間に一度あれば良いほう、二週間に一度は会えたけ ど、ホテルに行くだけ。ドライブがプラスされていれば、 ラッキーな感じ。いろんなカフェには行った。先生は何でか、自宅付近や病院付近を警戒していなかった。
学会の時、東京に一緒に行った。新幹線で行って、ちょっとホテル周辺のお店を見て。ホテルにずっと二人でいる。学会は翌日だから 、東京に着いた日の午後はずっと二人でいられる。
先生はエッチ後は寝てしまうから、寝て起きて夜にホテルの中のバーに行って、またベタベタしてお話して、ということの連続。
とても安らげるし、楽しかった。
東京にいる間、たからから連絡が来ても、たからに会いに行こうとは思わなかった。たからは仕事の都合で東京から地元に転勤して来たけど 、私が先生と付き合っている期間の前半は、まだ東京にいた。
今、東京にいるよとメールすると「会いたい。会おう」と返信が来る。「どこのホテル?」と。電話まで来た時があり、先生といる時間なんだから、と携帯の電源を切ったりもした。
だったら、たからに連絡するなという話なんだけど、私はただ友達に連絡しただけのつもりだった。
先生からのメールは、一応毎日来たけど電話は、あんまり来ない。 いきなり電話が来た時、嫌な知らせだろうなと思った。
その電話は、無言電話だった。先生じゃなくて、先生の奥さんがかけて来ているとわかった。
ちょうど通話40秒で切れた。切れた時の画面が39秒でも41秒でもなく、ジャスト40秒。40数えて切ったみたい。
その40秒の中に、憎しみと怨みが籠もっていた。先生は奥さんと 、セックスレスだと言っていた。大学の同期生だったんだって。 奥さんは教授らしい。子供達も優秀らしいけれど、仮面夫婦で、仮面家族だと言っていた。
奥さんの念というのは、たくさんのことが渦巻いていた。夫を盗られた、というのと夫が若い子と寝てるなんて信じられない、 というのと
誘惑したんでしょ……?というのと。誘惑、じゃなくて誘導、もっ と違う言葉だったかもしれない。私には、人が考えていることがわかることがあった。子供の頃からだけど、二十才を越えたら、それが聴こえるのがどんどんひどくなっていった。
奥さんは最終的に、〈死ね。〉と思っていた。私に対して。お前なんか、死ね。
こういうことだったんだ。奥さんがいる人と、恋愛をするっていうことは。
先生と、その後にお話をしてから別れた。
でも、先生は最後に私に悪い言葉をかけてから離れた。
先生からの、いくつかの言葉の内の一つ。
〈あなたのような女が、まともな男の人生を狂わせるんだ〉
そういえば、たからも似たようなことを言っていた。
先生と別れたんだよと、たからに話した時にこんなことを最後に言われたよと言ったら 、たからは怒っていた。「狂わされる覚悟もなかったんだろう」って。
高校の同窓会があったのは、そのすぐ後。
中学・高校が同じだった子からのお誘いだった。「理数科の男、狙おうよ」って。合コンのノリ。
たからは仕事だから、行けないと言った。
たからと一緒に出ていたら、からかわれたりしても、ナンパはされなかったはず。女の子だけで話してるのに、普通科卒の男の人は妙に遊んでるような人が多い印象で、話の中に入ってきた。
二人に連絡先を聞かれた。理数科卒の人たちは、 もっとタチが悪そうだ。
理数科の人らは、固まって話していた。女の子たちは、近寄りたくても近寄ってなかった。近寄らないほうが、良さそうだけども。
友達は、私の手をガッツリ掴むと理数科の山猿の中に入っていった 。
入っていったら、学校辞めた子だー、すげー、すごいよねー、英雄だー、と言われた。こいつら、本当に頭が良いのかなと思う。普通に頭、悪そう。
友達は、東大大学院出て研究職やってるという、背の高い遊び慣れたふうの男と話していた。私はすぐに彼に、彼女いるでしょ、しかも婚約してるわね!と言ってやった。
周りの人がおおーエスパーだ、と言っている。その男は悪びれず、バレないように遊んでいます、とか言った。言葉だけは丁寧。内心、 私のことを何だコイツと思ってる。
友達は、そんなの関係ナシになんだかんだでエリートと遊びたいだけらしかった。
ミキ君は、その輪の中で笑顔を絶やさない人だった。
場が落ち着いてから、「たからと付き合ってた子でしょ?今日、たからは?来ないの?たからは今、何の仕事してるの?」と話しかけて来た。
たからの友達のはず。だから、たからの会社を知らないわけがない 。たからの会社は大手だし、誰々がどこどこに就職した、 という話題は彼ら、さっきから話しまくっていたはず。
たからは週末に時々、フットサルに出かけていた。地元の友達のチームにいた。ビリヤード場にも、高校の同級生と遊びに出かけていた。
ミキ君が、趣味の話でフットサルと言ったので、たからのこと、知らないフリをしているんだと思った。実は仲が悪いとか?
ミキ君の名前、綺麗だね、素敵だね、光の中で生きられるように、 つけて貰ったのね、と言ったら照れていた。100%嬉しそう。
でも、急にその後「名前負けだよ」と言った。その目が物凄い寂しさを帯びた目で、思い通りに生きてないんだと思っている目だった。
華ちゃん華ちゃん、とベッタリくっついていて、ミキ君がそんなふうだから誰も近づいて来ない。「何か食べないの? デザート全部持ってくるね」と言い、本当に全種類、 取り分けて運んで来てくれた。
おしぼりやら、小さいスプーンやら、お代わりのお酒やら、何にも言わない内に持って来ようとする。
「次、何飲む?」の繰り返しで、お茶と言ってるのにモスコミュール持って来たりするから、雲行きが怪しかった。ミキ君は、アルコールは一滴も飲んでなかった。「車だから。送るね」と言って来た 。やる気満々。
色々な話をしたけれど、現在の話が主だった。ミキ君の話か、私への質問だけ。質問は、矢継ぎ早だった。「どこ住み?どこ出身? 仕事は?ところで誕生日いつ?」という感じ。
頭の回転は、 すごく早い。早口。私が話したこと、途中から「それは〜 ってことかな」と、わかってくれるので楽。
ポソポソ、のんびり話していたら、「華ちゃんの喋り、落ち着く。 一緒にいたい」と言い出した。ガン見。落とそうとしているわ。一緒にいたいって、今夜だけじゃん。
まあいいや、何でも。
ミキ君が車に乗せてくれると言うから、待っていたのだけど、ミキ君はあちこちの人に挨拶していてなかなか来ない。挨拶は大事だけど、恩師にも大事だけど、一時間くらい。
私はその間、何回もトイレに行ったので酔いは醒めてしまった。
車の中で、ミキ君は迷いを抱えている感じだった。わざと遠回りしてるし。アパートの前に着いて、寄っていく?と聞いた。「 まだそんな段階じゃないよ」と言う。キスしないの?迷ってるのに?と尋ねたら、「そういうことは、わかっていても言うものじゃないんだよ」だって。
はにかんだ笑い顔。この人、すぐ家に来るわと思う。
その日は、掃除をしてから眠った。
ミキ君のことを、たからにメールしたら返信がなかった。
次の次の日、友達とミキ君とご飯に行った。
今度は、泊まっていった。
ミキ君は、とっても優しくしてくれた。服を脱ぐ前に、体に傷があることを伝えたら神妙な顔をしていて、傷を見せたら明らかに同情していた。困ったような、戸惑ったふうに。
全部が丁寧だったけど、ミキ君が最後までイッてないと気づいた。 傷があることが、引っかかるのかなと思ったけど。ミキ君は、本当にやりたい方法でのエッチをしてないんだ。優しく、優しくと気を遣い過ぎている。
なので、口でしていい?と聞いてから了承は貰わないで、長く時間をかけた。ミキ君のこと、こうやってずっと、愛してあげるからね 。
そう言った瞬間に、口の中に独特の味が大量に広がったので、慌てて飲み切った。噴水みたいな量の広がり。この人、色んなことを耐えているんじゃないかしら。
ミキ君、好き。と言ったら、「俺も好きだよ」と答えてくれたけど 、言われたから反射で返した言葉だった。ミキ君は、 まだ私を好きになってない。でも、きっと、すごく好きになってくれる。私も、ミキ君をすごく好きになる。
たからに、ミキ君が泊まっていったとメールしたら、やっぱり返信がなかった。不倫先生の時は、悩みを相談しても黙ってはいたけど 、返信がないというわけではなかった。
ミキ君は、一人暮らしから事情があって実家に戻ったばかりだった 。「実家に帰るのが嫌だから華ちゃんの所に行く」と言い、一週間 の内、半分くらいは泊まっていった。
ご飯の支度が大変になったけれど、食費を入れてくれたり仕事の送迎をしてくれた。
私は骨董の仕事を退職していた。昔の大検、今の 高認試験は通っていたから、地元の国立大を受験して、合格してい た。その頃は大学行きながら、家庭教師と塾講師をやっていた。
大学は心理学科にしたのだけど、それは自分自身の心理が不思議だったから。人格が分かれるって、どういうこと?
各人格の特色があり、その時点でわかっていたのが、
・真野:男、18才の人格。社会人。危機に於ける攻撃者。会話困 難。誕生日11/7(他人格より聞き取り)喫煙者。
・しずく:女、16才の人格。学生。誘惑者。気が強い。誕生日= 主人格と同じだが生まれ年を言わない。
・栞:女、12才の人格。天真爛漫に見えるが虐待の記憶を持つ。 誕生日不明。
・いしき(よう):男、33才の人格。医師?内的救済者。治癒者 誕生日6/19 潜在のまとめ役。
・真美:女、22才の人格。主人格の1学年下と話す。誕生日8/ 3 顕在のまとめ役。
・猫 人格断片 猫の様な声で鳴き続ける、混乱時に現る。
・? 幼児退行時と思われる。名乗りなし。
・くしろ:体を折り曲げて移動する。真野が攻撃者とすると破壊者 と言える。言葉は流暢。各人格の中では最も知能指数が高い。 自傷自殺他害行為有。
・人格断片 発語なし。表情なし。
・人格断片 赤ん坊の様な声で泣き続ける。発熱有。
こんなふうだった。主治医(四人いた)のメモが。
話のしかた、声、仕草、歩きかた、筆跡、血圧、脈拍、体温までも 交代している時は違うのだって。
治療中に人格交換ノートをしていて、ノートに質問を書いておくと 、いしきさんと真美さんは書き込んでくれた。小さい子は、絵。栞 ちゃんは、作文調だった。それが不気味な内容で、気持ち悪かった 。
『o月x日 おとうさんのゲロのんだ。吐いたら服をぬがされてベランダに出さ れたから飛び降りた、5階から。ケガしなかった。 団地のボイラー室に入った。寒かったです』
とか。
私は、 それを読んで吐いたのと、目が回って動けなくなった。 病院だったから良いけど、よく息が出来なくなり、その度にセルシンという薬を注射された。
ミキ君は、小難しい性格だった。
最初は頑なな部分があったのだけど、すぐに打ち解けた。そうしたら、今度は大好き、大切で堪らない!という想いを被せてくるようになった。
嬉しいけど、嬉しいけれど、何か……儚いというか揺らぎがあると いうのか。気に食わないことがあったら、殺されてしまいそう。
そして、ミキ君のエッチの仕方が変わって来た。それはかなり、苦しみを伴うものだった。
縛られるのは、たからの時に慣れていた。けれど、ミキ君は関節を 傷めるような縛りかたをした。スポーツやってる人だから、 関節のどこが痛いかとか、わかるはずなのに。
羞恥系も慣れてるつもりだったけど、度を越した格好で縛られて放置、という時があった。それも長時間、 覚えてる限りで最大八時間半くらい。
ミキ君が出勤日で、私は休みだった。光生君は避妊が嫌いだったけれど、もう婚約の話が出ていた。子供が欲しいと言っていた。
その時は普通のエッチで、中に出された後にシャワーが出来ず、そ のまんまベッドに縛られて放置だった。ほとんど眠っていたから、 あまり辛くなかったけど喉は渇いた。私はトイレが近いので、 少量のおしっこを数回、仕方なく漏らした。
帰って来たミキ君は、上機嫌だった。「良い子にしてた?」の後に 「ベッドを汚したから悪い子だ」と嬉々として言った。真面目に、 本気で言ってるから、それがちょっと、かなり怖い。不気味と言ってもいいくらいに。
長時間シャワーが出来なかったからか、膣の炎症が起きて婦人科に 連れて行って貰った。
膣が腫れると、ミキ君はすごく心配する。私は痛いし痒いし気持ち悪くて、ミキ君を遠ざけた。けっこう攻撃的に。攻撃的に、逃げたというか…猫みたいに。
炎症があると、優しいけれどコンドームありで、それでもやろうとするから。拒否するとミキ君は喜んでいた。喜んで、 やりたがった。その後、また盛大に心配をする。
炎症は、毎月毎月繰り返した。生理前に特に、体の抵抗力が弱まって炎症が出やすくなるみたいだった。抗生物質を飲んで軟膏を塗っ て、しばらくセックスは控えることと婦人科の先生に言われても、 ミキ君はお構いなしだ。
その内、変なモノをよく挿入されるようになった。アサリとか。牡蠣とか。ウズラの玉子とか。ミキ君はアレルギーで海鮮が食べられ ないのだけど、貝類は特に気持ち悪いと言っていた。気持ち悪い物を恋人の膣に入れたい心理って、何なのだろう。
心理学は大学でやってたけど、ミキ君の心は、よくわからなかった 。虫を入れるAVとかがあるから、真似したのかも知れないけど。 ウズラについては、単純に面白そうと思ったのではないかな。 私はミキ君の玩具だ。
放置の時に器具を拘束バンドで固定されたりした。全然気持ち良くない。振動で気持ち悪い。しかも、その状態でクローゼットに閉じ 込められたりした。姿勢が制限されるからか、 普段立っている時にいきなり、脚がガクガクになって転んだりした 。
長時間だから器具が熱くなるし、振動のせいで車酔いのようにもなり、気持ち悪くて吐いた。貧血の時は吐き気が止まらず、 何度も吐いて最後は、吐いた胃液にまみれて目眩の中で、 気を失った。一時、楽になるけど気持ち悪さで起きる。
子供の頃を思い出す。こうやって、苦しさの中で眠り苦しさの中で 起きていた。なんか、安心もしていた。ミキ君は、それを器用に読み取っていた。私が、歪んだ安心感を抱くことを。
四才くらい、パパが亡くなってからは暗闇が好きで、毎日押し入れ に入っていた。中学の時も、たからに出逢うまでは押し入れの中で 眠っていた。暗くて安心する。
ミキ君は私に苦しみを吐き出しているんだってこと、わかっていた 。ミキ君が抱えていた苦しみ。そんなの、私が吸収して吐き出してあげる。
けれどお腹に菌が…(膀胱炎)という診断が出て、私はミキ君が、というよりセックスが嫌になった。でも治ると、ミキ君を受け入れ なければと思う。その繰り返しだ。ミキ君は、私以外にはこういうこと、したことがないと言っていた。
ミキ君のお母さんは、相当、癖がある人だった。初めてカフェで会 った時、私の存在を丸々無視して、ミキ君とだけ話していた。
ミキ君に電話で、あんな細っけえ弱え子止めときなせ!子供産めねえてば!心臓弱えならすぐ死ぬてばね!と方言で興奮して、 まくし立てているのが聞こえた。
ミキ君は黙っていた。お母さんを否定しない、私を庇わない。それから電話の後、私に抱きついて来た。小さい小さい、消えそうな声で「ごめん。いなくならないで」と言う。子供みたいな声で。
それから、心は籠もっているのだけど機械的に、好きだよと繰り返 した。心は入っているのに、機械的。ミキ君は、どっかが優しく壊れている。
ミキ君を愛していて、そんな声を出されて強く抱き締められていたら、何にも出来なくなる。捨てられた子供の声だ。これは、子供の 時の私の声だ。と思う。
愛の表しかたは、おかしいのかも知れないけれど日の光が射さない クローゼットの中、光生君が不器用にところどころ強く、あるいは弱く縛っていると性的にではなくて、直接的な愛情を覚えた。
強く縛っている時、ミキ君は『離れないで、どこにも行かないで』 と思っている。弱く縛っている時、『痛いかもしれない、ごめんね 』と思っている。どちらにしろ、自分勝手なんだけど私を好きじゃないとやらない。
遠い昔、たからは器用に器用に芸術的に、制服が皺にならないよう にブラウスの上から計算して縛った。
私は彼の作品だっただけ。もちろん愛情の中での製作なのだけど、 縛りのある風景、性を試してみたいという感覚だった。ミキ君の不器用さ、表現のしようのなさ、とは全然違う。
ミキ君の問題は他にもあった。仕事中なのに、何回も電話が来た。 ミキ君だって忙しいはずなのに、ひどい時は二十分に一回くらい。
塾や家庭教の指導中は電源を切っているけれど、何時〜何時まで仕 事だよ、とメールしているのに。
だんだんお金の遣い途や友達との外出、私の服装にも、口を挟んで 来た。
理由はわからないけど、仕事の時は白いスーツを着てと言われてい た。着てたら、医療関係者みたいに見える。塾にも白衣があった。 昔の教師は白衣を着ていたらしくて、その慣習らしかった。
ミキ君の親戚はお医者さんが多いのだけど、ミキ君は「血を触るの は汚れ仕事」と言った。だから「死んでも医者にはなりたくなかっ た」んだって。なんか、ミキ君の要望はこういうのが関係してるのかな?ただのコスプレ精神かな。
血が嫌いなミキ君だけど、私の生理中に襲って来て、手やミキ君の 陰部が血だらけになるのは、良いらしい。ミキ君の精神状態って、 けっこう混線していた。
友達と出かける時も、何時〜何時まで、どこに誰と行くかを教えな いとならない。でも、それは私の病気のせいだ。
街を歩いていて、急に人格交代してオヤジのナンパについていった ことがある。
途中で意識が戻って、ホテルからミキ君に電話した。
ミキ君は誘拐として警察に連絡してしまい、ナンパした人は合意だと言い、大変なことになった。私は障害者だから、 判断がつかない子供と、同じ扱いになるらしい。
以来、ミキ君は束縛の域を超えた束縛をするようになった。誰かに突っ込まれても、「タマちゃんは病気だから」と言えば黙らせるこ とが出来る。
そう、ミキ君は華ちゃんじゃなく、タマちゃんと呼ぶようになって いた。「華ちゃんは俺の飼い猫。ペット。だからタマ」と。
婚約して、完全に一緒に暮らし始めたら、仕事は辞めさせられた。 大学もだ。「出たって大した学歴にならない。お金と時間のムダ。 わかるよね?」と言われた。一応、MARCHと同じくらいの偏差値なんだけど。
友達とも、あんまり会えなくなった。お金はミキ君に、くださいと お願いしないと貰えない。貯金はあるけど、そもそも銀行に行けな い。
たからには、ミキ君との付き合い初めから全部話していた。ミキ君の仕事中、電話をくれたり会いに来てくれた。
たからは口では言わなかったけれど、ミキ君を上手く信用させて、 ミキ君がたからを利用するようにしていた。なんでも屋さんのよう に。その裏では、たからがミキ君を操るようになっていった。
上手く言い表せないけれど、ミキ君はたからなしでは、社会的な判断が出来ないようになった。車を買うにも、たからに相談。 引っ越すにも、たからに相談。契約書なんて読まないで、 たからに見せる。たからは金融の仕事だからか、 保険や不動産にも詳しかった。
これは時間をかけて、そうなったのかと思われるかもしれないけれ ど、違う。たからは、ミキ君を簡単に飲み込んだ。
隙がなくて、精神的なバランスが取れていて、生きることに対する 土台がしっかりしている、たから。同じように見せかけていたミキ 君だけど、ミキ君の本当の内面は、柔らかい赤ちゃんのようなもの 。ふわふわしていた。何かあれば、たからに頼る。 たからはミキ君を上手に信頼させている。
けれど、目が笑っていない。私にはわかる。たからの冷たい計算が 働いている。
たからが、私に何もしないとミキ君は心から思っていたのだろうか ?
確かに、たからは表向きは曲がったことは嫌い。しない。婚約して いる友達の彼女に手を出す、なんてしない。……はず。
私はちょっと離れた地点から、二人を眺めるようになっていた。と いうのも病院で治療を重ねるごとに、他人格の統合が進んで、ミキ君が誰だかわかったからだ。
ミキ君は、高校の時、たからの家に来ていた人だった。あれは、今 考えても普通にレイプだったし当時のミキ君も、そう言っていた。
他人格の統合は、その人格に統合して良いか、意見を聞いてから。 ミキ君に接していたのは、しずく(雫)と栞ちゃんだった。
雫は「ミキのセックスが嫌いじゃないから、結婚してあげる」とミキ君に言ったらしい。この人格を、ミキ君は「最高にエロい。早く 統合して」と言っていて、私からしたら、常に浮気されている感じ だった。
説明すると、雫が前に出ている間、私は主人格だというのに、彼女 に殴られて意識を失くす。彼女の記憶は、共有出来ない。統合した ら共有出来たけど、とんでもないことをしていた。
彼女は、中学の時に久住君と、高校の時に田中君ともエッチしていた。
さらに言うと、中学の三年間と、高校の担任も男だったのだけど、 彼らを誘惑しまくっていた。だから中学の時の担任の先生、警戒し て私に近寄って来なかったんだ。先生、新婚だったもの。
栞ちゃんは、主に泣いている人格だ。この子の記憶は、今の私にも 凄く痛いものでしかない。ミキ君は、栞ちゃんに対しては優しくし ていた。
光生君は長男なので、面倒見がとても良い。栞ちゃんに対しては、 「かく在るべきこと、本当は妹にしたいことをしていた」と言った 。
たからに申し訳なくて、たからの顔を見れなくなった。中学の時、 高校の時、私は、たからを全身全霊で愛していたのに。その愛をぶち壊していたのが、私の裡側にいる他人格。
それなのに、何も知らないたからは時々、ミキ君のことは脇に追い やって「やり直したい」と言って来た。
今更…………?
私の人格は、ガタガタなのに。
でも、たからも、身勝手そのものだ。
ある時、美術館に連れて行って貰ったのは良いけれど、貧血でふら ふらしていたら、たからのマンションに運ばれていた。美術館のト イレで倒れたから、女性の館員さんについて来て貰って、 運び出したって言った。
その頃も、体重は33kgくらいだった。大柄な、たからには簡単に運べたんだろう。
SM用の拘束具で繋がれていた。こんなの犯罪だと思うんだけど、 私達の間にそんなの、もう関係ないのだろうな。
痛いから外してと頼んだのに、「ミキと婚約破棄したら、外してやる」だそう。脅迫になるんじゃないかしら。
怖いのでずっと泣いてたら、何もされなかったけど。腰や脚は触ら れたし、パンツは脱がされた。それは、オムツをつけられたから。 最悪。
その間のこと、堂々と録画されていた。ベッドの横にカメラがあっ た。変態だ。
けれど、そんなことがあっても、私はミキ君と入籍する前に、たからと一度寝た。
何でかと言われたら、これもきちんと説明しにくい。あまりにも、 たからからの求めがひどかったのと、子供を産むとしたらたからの子だっていうことが、わかってしまったからだ。
いくらミキ君と、毎日毎日していても妊娠が出来ない。でも、薬漬けだからなのかなと思っていた。
たからが死ぬ程、求めていたことの一つは昔も今も同じ。『華との子供が欲しい』。それは、結婚したいということともイコールだった。
結婚は、ミキ君としなきゃいけない。ミキ君を一人にしてはいけな い。たからは、私じゃない人とも結婚出来るけど。
子供を天から頂くこと、と、結婚は別だ。
たからとは、子供を設けるけれど結婚はしない。ミキ君とは、結婚する。それが、その時の私の判断だった。
たからのマンションに、私から連れてってと頼んで、行った日。
寒い日だった。昼間はふわふわした雪だったのに、夕方には車の窓を、雹みたいな礫が叩いていた。
それまで憂鬱そうに翳っていた、たから表情が、一緒に帰りたいと 言ったら、戸惑いと喜びと、それにブレーキをかける慎重さが混ざ り合った、何ともおかしな無表情に変わった。
たからの家は、男の一人暮らしだというのに完璧に綺麗だった。神経質なんだ。すぐベッドに持って行かれた。運ばれた、じゃなく本当に持って行かれたような感じ。
たからは恋人同士なんだといまだに、思っているみたい。限度を超えているような関わりかたを、してきた。水も直接渡してくれない 。全部口移し。泣いたら、今度は私の涙を舐めている。 しょっぱくないのかしら、涙なんて。
不確実な方法で、たからは一応の避妊はしていたけど、一回目でもう、赤ちゃんが来たと感じ取れた。すぐ帰りたかったけど、たから は泊まって行って欲しいようだった。
ミキを裏切ってるのなら、たからと二人だけで買い物に行っている 時点で裏切っていることになる。
たからの車に乗り、密室で二人きりでいるのと同じ。たからの目線は、普通の友達に対するものじゃなかったし、隙があれば触りたい 、という欲を伴っていた。
たからが夜中、電話して来ること。それだって、ミキ君から見たら裏切り。
私がミキ君とのエッチがきつくて嫌になって、それで虚しくなった 時に、電話して!と、たからにメールしていた。
たからは、たからで私のことを好いてくれてるのに。ミキ君(表向き友達、実はあまり好きじゃない同性)と、好きな人が明らかにヤ ッた後に電話しなきゃいけないってこと。それを私は無理に課して いる。
でも。…たからは、子供の時に「どんな形でも絶対に、華を守る」 と言ってくれた。だからなんだもの。守って欲しいとは言えないけ ど、支えていてほしい。
なんていうのは、狡いし馬鹿みたい。たからに謝ってみるけれど、 謝りの言葉は謝れば謝るほど、上滑りしていく。たかは、謝るなら ヤらせてくれという感じ。じゃあやっぱり、エッチだけやってりゃ 良いんじゃないかな。好きじゃないじゃん。本当は、 私のことなんて。
たからと結婚するのは、きちんとした家のお嬢さんじゃないといけない。そう思う。学歴も職歴も、たからに見合う人じゃないと。
私が、卑屈なんだろうか。
昔、学校を辞めずにいたとしても、私にはエリート的な道は歩めな かっただろうけど。
たからが執着してるだけ?なのか。
そういうことを、たからのベッドで考え続けていると、さっきから 、たからは二時間ほどもかけて、ずうっと舐めてる……お尻の辺り を。この執拗さは何だろう。お尻の肌が、かぶれてしまいそう。
何だったんだろう、私達の今までは。13から数えたら、今が28 だから15年だ。
途中で意識がなくなったから、ところどころ寝ていたのだろうけど 、たからは私と話もしていたと朝、言っていた。
何を?と聞いたら「これからを」だって。
これから、どうするの?と聞いたら、それには答えずに「どうした い?」と逆に聞かれた。どうしたいも、何もない。また友達に…… 何でもない間柄へ戻りたい。でも、言えない。赤ちゃんのパパが、 友達って。結婚、離婚を経ているのならともかく。
そんなにも変なことを、私はこれから、しようとしている。
3月に入って、妊娠がわかった。たからに真っ先に伝えたけど、答 えは「そうか……」だった。その後、おめでとうって他人みたいに言う。
たからはミキ君の子だと、思ってる。
だけど、そうじゃないと困る。そうじゃないと、たからはミキ君を 殺してでも、私と結婚しようとするだろう。
赤ちゃんが、二人の子供が生まれて来るのだから、それでもう良いじゃない。
命。
私達の血が、混ざっていた時を思い出す。たからの家のバスルーム で、子供ながらの愛の儀式をしていた時。あの時、 とても崇高な気持ちになった。生まれて来る赤ちゃんは、私達の得意や不得意、私達のご先祖様方の好みや、苦手なものも、何だって 知っているのかも。私達の、お互いの初恋の時期のことも。
結婚にこだわる意味は、わからない。恋愛しなきゃいけない意味も わからない。恋人や、夫婦という型に嵌らなければいけない理由が わからない。人を一人だけしか愛せない理由も、わからない。
現実逃避の不倫は大嫌い。心の弱さを投影した、だらしのない関係 は嫌だ。それじゃなくて。たからとは、そうじゃなくて。 ただ愛するだけでは、駄目なの?
たからとは、命を生み出したい。
けれど、一緒に育てる必要はない。
変なのかな。私、ママにも育てられてないから。小さい時、一時的 に伯母さんの養女になって、それから養子縁組を解消されて、義理 の父の養女に今度はされたから、同じ家、同じ親、同じ家族の元で 育たなければいけない、という概念がない。だから変なのか。
たからを、愛している。一番目、ニ番目とかじゃなくて。
ミキ君も愛している。ミキ君を守りたい。たからは、私を守ってくれる。つまり、たからはたから自身をまず守れるということ。 だから人を守れる。ミキ君は、ミキ君自身も守れない。 だから私が守る。
これは、この気持ちは間違っている?
二人を大事に愛している。生まれて来る子も、愛している。愛する の種類は、違うけれど。愛は全部が、愛だ。
妊娠したので、薬を止めないとならなくなった。様々な薬を、たく さん処方されていた。
五年くらい吸っていた煙草は、すぐに止められた。でも薬は、そん なレベルじゃなかった。
患者会で会った人は、禁煙がレベル十とすると禁酒は百、麻薬が五 百、抗精神薬が千レベルだと言った。万、だったかも。それくらい 難しいってこと。
一回、薬漬けになったら抜け出すのは至難の業。
頓服だったヒルナミンやリスパダールは、すぐに抜けた。ラムネみ たいに食べていた精神安定剤、デパスが一番、強烈だった。 最後まで抜けなかった。
血で血を洗うように、毒を毒で流すように、デパスを使いながら他 の薬を抜いていった。
目眩や寒気、関節痛、頭痛、38度くらいの発熱など、インフルエ ンザのような症状があった。吐き気や下痢で、脱水症状になって夜 中に病院に行ったり。よくわからない自殺願望が出てきたり。
悪い血が、体に流れてるから血を抜いたら、薬も抜けると思った。 妄想も出るらしい。心臓付近、手首、首付近を切ったりした。
デパスの離脱症状には、市販薬のパブロンを
飲んで、いっ時ごまかした。パブロンにも、依存性があるけど。風邪薬だから、大した依存性では、なかった。
離脱症状は、インフルの症状に似ているから高熱が出たり、関節の 痛みがあったりする。吐き気や下痢も。そんな時、パブロンを四、 五錠くらい飲んだ。もちろん、飲み過ぎ。一日で十七錠くらい飲ん だりもした。規定は九錠だから、倍くらい。仕方なかった。
いつも、いつもボーッとしていて、すごく息苦しい。フラフラと目 眩が続く。それでも、ミキ君は構わず夜になると迫って来る。 それは、苦行だった。
たからは、妊娠を教えてから全然会ってくれなくなった。電話とメ ールでは、優しかったけど。遠慮している感じだった。
心臓の辺りを切って、血がたくさん出て怖くなり、たからに電話し た。自傷したことは、言わずに。けれど、変だと思われたようだ。
病院に連れて行くと言われたから、慌てて切った。自傷を怒られそ うだから。たからに悲しまれたり、怒られることは嫌だ。 理由がなくて切っているわけじゃない。説明出来ないだけ。
住んでいたマンションは、六階だった。窓から落ちたら、楽になれ そう。そう思ったら、飛び降りたくてたまらなくなる。強迫観念みたいに。
ミキ君は、止めるのに命がけだった。命がけで止めて守ってくれた 。抱き締めることだけでしか、ミキ君は止める術がなかったと言っていた。
一晩中、抱き締めて眠ってくれた時に私も、ミキ君を抱き締め続けていこうと、思った。
断薬でひどい状態でも、妊娠中でも、ミキ君は姿勢に気をつけて、 セックスレスにならないようにしていた。繋がりがなくなったら、 夫婦じゃなくなると思ったみたいだ。
妊娠した翌月、入籍したけれど実感はなかった。私の親が変わって いるから、ミキ君の親族には会わせていない。ミキ君が忙しいから 、新婚旅行なんてしない。結婚式もなし。私の親戚は、 ほとんど疎遠だもの。
指輪と書類だけが、結婚した証。
たからは、時々メールでミキ君のしていることがDVだと言って来 た。
変態的なセックスについて、たからには話していたけどそれは、愛 の形だよね?という意味で聞いていた。たからだって、変なことを 昔、たくさんしたのに。
同じようなものじゃない?
何が、DVに当たるんだろう。ミキ君は、私にお皿やお箸をくれな い時があり、食べ物を床に撒いて「食べな」ということがあった。
だけど、それは私が子供の頃にお皿やお箸を与えられず、ひどいと 猫用の缶詰を食べさせらたり、犬用の固い干し肉を投げられたりし ていたからだ。それを話して、似たようなことを再現されて、 何だか安心した。再現して、と私がミキ君に頼んだんだ。
バルコニーに出されたりするのは、身体的につらかったけど、それも子供の頃にされた。ミキ君のお母さんも、ミキ君にじゃないけど 妹さんに、していたらしい。それについては「教育だよ」 と言われた。
殴るとか、蹴るなんてことはしないけど怒鳴ったり叩かれたり、は あった。怒鳴り声は嫌いだし、怖い。叩く人も嫌い。
ミキ君が怒鳴る時は赤ちゃんに戻っている時だった。叩く時も。思 い通りにならないから、イヤイヤしている時。悲しそうに、ミキ君 は怒鳴るし叩く。それで、私も悲しくなって泣いた。叩かれても、 痛みはなかった。こんなのは、慣れてるし。ずっと、昔から。
ミキ君は手加減していたみたいだけど、こっちは、よろけて倒れる ぐらいの力ではあった。
その後、泣いて謝って来る。指輪を買って来たり、ケーキを買って 来たり、高価な花束を買って来たりする。蘭の鉢を何個も買って来 たことがあった。玄関が、キャバクラみたいになったので二人して 笑ってた。私は、痣が出来ていても。きっと、変な光景だった。
外に行かないから見つからないけど、ミキ君に首を何箇所も噛まれて、隙間がないくらい噛まれて、首が全体的に鮮やかな紫色になっ たりした。
私はそれを、ミキ君の愛がお花みたいに首に咲いた、というふうに 感じた。他人から見たら、ただの馬鹿なんだろうともわかっていた 。
たからが全力で、ミキ君を否定しているくらいだから。それが、正しい感覚なんだろうけど。
断薬はし切れなかったけれど、無事に普通分娩で出産に臨めた。
赤ちゃんはお腹の中で、やたら大きく育った。私がロクなものを食 べていなくても。
たからに似たのだと、わかっていた。たからは約四千グラムで生ま れていて、お母さんは帝王切開だったと言っていたから。 高校に入った時、もう百八十センチに届くくらいだった。
力が足りず、なかなか産めなくて苦しんだ。陣痛もそうだし、分娩 室に入ってからも、どうにもならない種類の痛みだった。だけど最 後は、痛みじゃなく熱さ、命の熱しか感じなかった。赤ちゃんが生まれた瞬間は、幸福で光に包まれたと思った。
神様が、これで良い、良いんだよと頷いているのがわかった。亡く なったパパが、心配して近くにいるのもわかった。霊とか魂、神様 、お医者さんや助産師さんの懸命な力、赤ちゃんの生まれて来る力 、私自身が生きようと思う力、すべては、ひとつだった。 ひとつの、うねり。
カンガルーケアで胸の上に載った赤ちゃん。
女の子。こーちゃん。真っ赤な顔でちょっと泣いてから、すぐおっ ぱいをごくごく飲んで、すやすや眠り込んだ。
あらあ、この子はおっぱいを飲むのが上手だね
良い子が生まれたねえ
パパにお電話してね
助産師さんが、明るい声で話している。私の心身の状態が悪くて、 子宮も奇形だったので、個人医院での出産は出来なかった。総合病 院だと、経験豊富な助産師さんが多く、有り難かった。
分娩室で、体を拭いて貰ったりしている途中、自分で電話した。携帯を普通に渡された。自分で電話するものらしい。
ミキ君は仕事前で、寝ていた。「えっ、もう生まれたの」と、呑気な言葉。
たからに電話したら、仕事中で電話が取れなかったらしく、病室に 戻ってボーッとしていたら、電話が来た。
午後1時11分、生まれたのよと伝えた。たからはしばらく無言で 、「おめでとう」と言って、あれこれ体調を尋ねて来た。 ミキ君よりは、よほど丁寧だ。
ミキ君、リポビタンDとオロナミンCとプリンとアイスと春雨サラ ダとお茶とポカリとコンビニのおでん、を買って来てくれた。冷蔵 庫はあるけど冷凍庫がないので、アイスはすぐに何とか食べた。 涼やかな、バニラの味だった。
たからは、入院中は来てくれず退院後も、全然来なかった。
ミキ君が二週間の大阪出張の時、寂しくて心細い時、来てくれた。 もう産後一か月、経っていた。
「欲しいものないか」と電話で言うから、オムツを頼んだらちゃん と新生児用を買って来た。それから、メイバランスという介護食。 飲んで栄養が取れるもの。高いのに、セットで。
お祝いのお金もくれて、友達から貰う額じゃなかったから、もしか して、こーちゃんがたからの子だと気づいたんじゃないかなと思った。
でも、たからは自分からこーちゃんを抱っこせず、遠まきに眺めていた。近づかない。
ミキ君は、最初「落としそう。小さくて怖い」と言って、抱っこし なかった。たからもかと思ったけど、抱っこしてよ!と言ったら慎 重に、きちんと首を支えて抱っこしていた。たからが座った状態で 、だけど。
ミキ君の仕事は、忙しくなるばかり。二週間単位で、東京か大阪、 福岡、岡山などに行っていた。
お家は、いつも静か。こーちゃんはおっぱい飲んで、ずっと寝てい る。お掃除をゆっくりして、赤ちゃんの肌着を洗って、 私も眠って、過ごしていた。
貧血もあって、授乳のため、薬を抜くのもまだ続いていて、眠くて 眠くて仕方ない。
外には行かない。行けない。街の中でも、車がないと不便な地域な のに、車の運転が出来ない。以前から薬をたくさん飲んでいたから 、免許を取ってはいけないと言われていた。タクシーを使うにして も、小さな赤ちゃんを抱えてどこかに行くなんて、 体力的にも無理だ。貧血は妊娠中から、かなりひどくなっていた。
そして、ミキ君は病院以外は外出禁止と言っていた。病院に行く時 は、ミキ君のお父さんに頼んで連れて行って貰うしかない。
たからはしょっ中、来てくれるようになった。オムツ、ティッシュ 、トイレットペーパー、お米など、重い物やかさばる物を買ってき てくれた。
ミキ君がいないから。ミキ君がいる日には来ない。
時計の音がチクタク、チクタク聞こえる静かな部屋で、レースのカ ーテンを引いてランプをつけて、優しい空間の中。
赤ちゃんの匂いは、おっぱいの匂い。ミルクの匂いと一緒。安心する。こーちゃんを添い寝で授乳していたら、いつの間にか眠ってい る。地の果てに引きずり込まれるような、強い眠りの世界。
たからはその中に時々来ては、「癒されに来ている」と言う。買い 物の代金を渡そうとしても、「癒されに勝手に来ているから」と受 け取らない。
夢をよく見た。たからの夢というより、猫の夢。私達、二匹の猫になっている。
抱き合って眠っているのだけど、不意にたからに攻撃をされる。私 からだったかも。近くに他の猫もいるんだけど、無関心。
何だろう、この夢。と、夢を見ながら思う。最後にたからに首を咬 まれて、血が大量に噴き出て、死ぬ。全ての最期に十字架が見える 。
たからといると、たからの目が愛情に満ちていることはわかるのだけど、どうしてか怖さも感じる。
何かのきっかけで、ミキ君のいる風景をぶっ壊しそうな。
娘、こーちゃんが保育園に行くことに決まった。ミキ君があまり家 にいられないくらいに忙しいし、私の体調が悪いから。
心臓が悪いとか、弱いとかの理由で優先されて保育園に入れるのは 、申し訳なかった。働いているお母さんは、たくさんいるのに。ミ キ君や、たからは「診断書があるから有利」「診断書は絶対的な印 籠」という考えだった。
私は、何だかズルしてる感じがして、嫌だった。
事実、一般的な考えの中で、病気なんだから仕方ないって人もいる だろう。けど、甘えるなって人もいるだろうし、 あんただけズルい、って人もいるはず。
それぞれ、みんな、暮らしの中でどこかが大変なんだから。働きながらの育児、家事。
それらを当然のこととして、女性が強いられている風潮が良くない のかもだけど。働きながら、出来て当たり前、みたいなの。男も家 事と育児を半分やれば良いじゃない。男だけが、出世を出来るの? 女よりも?
働かないと、と思って、昔働いていた骨董店に連絡したら、お店の 欠員はなかった。社長は私が、人の話をよく聴けるんだからそれを 生かして、相談所やれば?と言った。
冗談とかじゃなく、お店のスペースを貸してくれるって。
ビルの二階で、社長は画廊や塾もやっていた。社長は外国で働いて いたし、数学も得意だったから、中高生に英語と数学を教えてもい た。
その塾にも、その時は欠員がなかったんだけど、画廊には前から時 々、絵を描いては置いて貰っていた。
占いが好きだから、相談所というか…占い師として、仕事を始める ことにした。たからに話したら、「座っていられる仕事だから」 と勧めてくれた。でも、ミキ君は私が働くことについて嫌な顔をした。
骨董店の社長が、ミキ君と電話で話してくれた。私のことを、ベタ 褒めしたり送迎を申し出てくれたり、話の持って行きかたが上手か ったらしい。ミキ君は、「あの人なら信用出来るかな」と言った。
それにも、本当はたからが一枚噛んでて、社長にミキ君のことを話 していて、「DVがあるから引き離したい」と言っていたらしい。
社長は心配してくれたけど、ミキ君との暮らしが嫌なんじゃないも の。ミキ君のことは好きだもの。そう答えた。
外に出られることになって、働けて、すごくすごくすごく嬉しかっ た。たからは仕事が忙しいのに、必ずといって良いくらい、 送迎をしてくれた。と言っても社長が先に送ってくれたりしたので 、たからは悔しがっていた。
占い師という、ある意味で特殊な仕事だけど、お客様が紹介を含め 、どんどんついていった。最初、一鑑定を五千円とたからが決めて くれたのだけど一時間で、三万円〜五万円頂いていた。
骨董や古美術のお店なので、お客様はお金の感覚が違っていたのか も知れない。平均よりは、裕福な方々が多い。 経営をされている方々も多い。
その内、私にくっついている、たからの経歴を聞いて、たからに相 談する方々が増えてきた。たからは、最初にはっきり「有償にて承 ります」と言った。「技能や知識を安売りはしません」って。
たからは経営学を、大学で修えていた。しかも、この辺では珍しい東大卒ってだけで、グワッとお客様が増した。学歴ってやっぱり怖 い。
ミキ君は、単純だった。私のお給料を渡したら、「もっと良い所に 引っ越そうよ」という感じ。でも「車はまだ良いや、動くから」 ってところが、変に控えめなミキ君らしかったり。あと、「画面が 大きなテレビ欲しいな」くらい。
お客様が増えて来たから、社長は貸しスペースではなくて、独立す ると良いよと言ってくれた。
たからに「一緒にやりたいなあ、たからと。占いの館を」と言った ら、たからの目がきらっ、とした。
この目、知ってる。中学生の時のたからの目だ。意志が固まった時 の。こうなったら、実現間違いなし。
占いの館は、古いマンションの一室。家賃が安いのに3DK。自費 で壁紙を貼り直したり、エアコンを新品にしたり出来た。たからは 、内装にお金をかけてくれた。「投資だ」って。私への。
カルチャースクールに生涯学習として、占いを教えに行ったり、幸せを感じた。
まだ少し、薬は飲んでいたけど(飲むというより、齧っていた)治 療は一旦、完了した。
最後まで断薬に苦労したデパスは、ひどい時に一日ニシート(二十 錠)程も飲んでいたのが、ニ日・三日に一度、十二分の一錠を齧る か、どうかくらいに減っていた。
人格の統合が済んで、障害者手帳も持たなくて良くなった。回復したら、障害者ではなくなった。障害の2級から、3級になるかもと 主治医は言ったけど、年金機構では、治癒したと判断された。
一人だけ、まとめ役の人が統合をしない選択をした。その人は、ま だ私の中にいる。この人とは、話せない。手帳やノートに、たまに 手紙を書いておくと、しばらくしてから、答えが書いてある。
他人格って、何だろう。今もわからない。私の脳が作り出した、だ けど完全な他人。想像して出すというのじゃない。だって、この人 はドイツ語を書いたり、喋れるらしいのだもの。男だからなのか、 たからと対等に意見を闘わせたりするらしい。
占いの館では、占いを教えた生徒さんがお弟子さんになった。たま たまミキ君と出かけたショッピングモールで、手相占いをしていた 子をスカウトして、毎日一緒に働いていた。
土曜日と日曜日、祝日には、たからも来てくれる。
お金の管理が主だけど、時々財務鑑定をしてくれた。占い師という より、コンサルタントだ。
その頃には、たからは私達の中学時代の後輩と付き合っていた。部 活の後輩だった、二才下の奈々ちゃんと。
なっちゃんは、たからや私が付き合ってたことを知っている。たからは 最初から、私との「不倫までの期間限定」と言って、なっちゃんと 付き合っていた。それも、なっちゃんとの結婚前提で。
つまり、私と不倫するようになったら、お前とは別れるからねって こと。ひどすぎる。なのに、なっちゃんは、 たからのことを中学生の時から好きだったので、それでも良いらしかった。
なっちゃんに赤ちゃんが出来て、たからは結婚することになった。 おめでたいことなのに、たからは全然嬉しそうじゃなかった。
たからがこんなふうな人だとは、思えない。たからが、私に「失敗した」「お前のせい」と言って来たことがあり、わけがわからなか った。赤ちゃんが来ることに、失敗なんてない。それについて怒っ たら、たからは悲しそうな目で、こっちを見た。
たからのこの目は苦手。私も悲しくなる。
どうして、私のせいなのかと考えて考えて考えまくったけど、よく わからないまま。
たからと二人で、占い館の一室にいた時、不正出血があった。元か ら貧血で、鉄剤注射に病院に通っていた。けっこうな量の血を見て しまったら、一気にフラフラし出した。
熱もある。具合悪いから、寝るよとたからに言った。たからは、エ ビアンを持って来たりブランケットを持って来たり、体温計を持っ て来たり、無言だけど優しい。
いつも休んでいる、折り畳みベッドで横になった時、たからが「ド ア閉める?」と部屋の外から尋ねて来た。
また、寂しいような悲しいような目をしてる。悲しみに満ちてる目 ……。
閉めないで!と言った。
たからが今、ドアを閉めたら、たからの心が閉じてしまう気がした 。
たからは、無言で部屋に入って来た。私は、たからに手を伸ばした 。
それが良くなかったんだと思う。じゃあやっぱり、たからにドアを 閉めさせたら良かったのかな。わからない。
たからは、無表情だった。無表情で、ベッドに素早く乗った。
びっくりする顔をする間も、なかった。たからの肩の辺りを両手で 押したけど、それで押し退けられるわけがない。次にはもう、 密着してたから、こっちは、 避けようとしてるのに避けるではなくて、たからに抱きついてる形 にしかならなかった。
こんな時に、たからは良い匂いと思ってしまった。香水の匂いじゃ なく、たからの首筋や、髪の毛の匂いが。
じゃあ嫌じゃなかったんじゃないか、と思われるかもしれない。け ど嫌だった。間違いなく嫌だ。さっき血が出てたんだから、今また 出るかもしれない、お腹は痛くないけど、痛くなるかもしれない。 というか、確実に痛くなりそう。
血が出るから嫌だ、と言ったのにたからは聞いてなかった。聞こえてなかったんじゃなくて、聞いてない。手を壁にぶつけてしまって 、半端じゃない痛みで、叫んだ。たからは、その時に一回目に「 うるさいな」と言った。二回目に、「もっと泣け」と言った。 どちらも、楽しんでる声だった。
この人は、私が痛くてもわからない。伝わらない。あ、そっか…… と、ふいに何かに気づいた。何だろう。そうだ、ミキ君と同じなん だ。
あっさり終わったのだけど、たからは自分勝手な動きしかしていな かった。直接入れて、直接出したから、 たからは私のことは大事ではないんだなあ、と、しみじみと感じた 。具合が悪いって言っておいたのに。
ふっと、たからが私のことを好きだった期間は、純粋な子供の時だ けのことで、今は違うんだろうなと途中、思った。けれど、 たからがすごく傷ついていて、今、こうなってるとも思った。
なっちゃんと、ちゃんと付き合っていないこと。
なっちゃんの赤ちゃんと、ちゃんと向き合わないこと。
強姦まがいなこと、といっても強姦なんだろうけど、急にこんなことをしている、たからの混乱。
気まずいとかじゃなく、たからは何だかオロオロしていた。狼狽す るたからなんて見たことないから、もう仕方ないなあ、と思ってし まった。済んだことは、仕方がない。変えられないから。
手、手首が腫れて変だったので、ミキ君に病院に連れて行かれた。 ミキ君には、転んでぶつけたと言った。「バカだなあ」と、本当にバカにした感じで言い捨てられた。
病院でレントゲンを撮って貰ったら、ヒビが入っていた。
たからは大慌てで、治療費の話や通院の送迎を申し出てくれたけど 、治療費だけ受け取ることに落ち着いた。
ミキ君が、たからを疑ったら困る。
たからがいるのに、怪我をするようなこと、普通はない。荷物も持 ってくれるのだし。私が勝手に転んだことにしたけれど。
「怪我したら、すぐたからが病院に連れて行ったはずなのに何であ んなに腫れるまで放っておいたの?」とミキ君に言われて、私が仕 事したかったからだよと答えた。
たからはそれからしばらく、落ち込んでた。フランスへ出張してい て、帰って来た時にフランスアンティークの指輪をくれた。何で左 手の薬指のサイズと、ぴったりなんだろう。計算?偶然?
ある日、いきなりたからが家に来た。玄関先で、「もう止めよう」 と言い出した。何を?と聞いたら、「これが友達なんだったら、も う止めよう」って。
友達を辞める?…………
それから、「フランスへ駐在する希望を出している」と言った。一 度行ったなら、十年くらい向こうに住むって。なっちゃんを連れて 行って、あっちで子供を育てて。
「華のことは忘れる、日本で見た夢だと思うことにする」と言った 。胡蝶之夢、という言葉を出して難しいことを話していた。それは 中国の思想家の言葉らしかった。胡蝶の見ている夢が実は、自分な んだとか。つまり、夢が現実で、現実は夢であって、生きることは 儚い……というような。哲学的な話。
「華と過ごしたことは現実だが、とんでもなく甘美な夢だったとして後は渇いた日常を生きる、 その日常は悪い夢だとする」と言っていた。たからの喩えは、いちいちカッコいいのだけどわかりづらい。
私は、じゃあ、たからの人生はどっちにしろ夢なのね?と尋ねた。 良い夢か悪い夢か。夢にしか出来ないくらい、つまらない人生なのね。
たからは頷いて、「お前のせいだ」と冷たく冷たく呟いたから、涙 があふれた。どっから、ってくらいに後から後から。
人のせいにするなって思ったけど、言えない。たからはやっぱり私 に依存している。たからの、人生なのに。
帰る前に、たからは「お前がいればそれでもう良いんだ」と、言った。
その数日後に、占い館の洗面所にいたら急に抱きついて来た。「も う我慢しません」と、変な丁寧語。私がフランスに行かないで欲し いと言ったから。それで、覚悟がついたとか。
なっちゃんには「先輩、たからさんと再燃したんですよね」と言われてしまった。してないよ、と言ったけど再燃って、どこから再燃 なんだろう。たからはずっとずっと、燃焼してるけど。
「ごめんなさい。先輩に返さないといけないけど今は返せません。 もう少し時間ください」と言われた。たからとちゃんと、家庭を作らないと駄目だよと答えたら、なっちゃんは「自信がありません」 って泣いていた。たからは、なっちゃんを見ていなかった。
なっちゃんとたからは、一か月後に結婚式を控えていた。この状況 なのに平気で占い館の中で襲って来た。私が何も言わなかったら、 もうOKだと思ったらしく毎日毎日、何かを仕掛けて来た。
変なSMセット持って来たり、曲芸の補助みたいなベルト持って来たり、「どれが良い?」とおかしな玩具持って来たり。楽しそう。
でも、たからは限界なんだなと感じた。今まで、支えようとしてくれて実際に支えてくれて、子供の頃からのトータルで考えたら、何 をお礼にすれば良いのかわからないくらい。
そのお礼が、異性だから異性としての快感が伴うこと、それだけで しかないんだったら、それで良いのだったら、軽いなと思った。 お礼としては、軽い。体の具合が良くないから、はっきり言って苦 しいし、きついけど。
でも、毎日そういうことしている内に、嫌な気分にもなった。たからは口では、愛だの恋だの言ってるけど、結局ヤリたいだけじゃん 、と思ったり。
ミキ君を馬鹿にしてるんだなあ、とも思った。これも、口では友達とか言ってるけど。それについても、「お前は旦那の友達にこういうことをされて喜んでいる」とか言って来るんだけど、 そんなわけないでしょと頭では思う。反論してないけど。
たからが、そのシチュエーションに燃えてるようなので、付き合っ てるだけだ。女が、というか女性器が、濡れたり潮が出ちゃったり というのは、けっこう不可抗力だったりする。 気持ち良くない時もある。急に力を加えられたら、 防衛として濡れたりするし。気分が悪い時だってある。男は、 それを知らない。
早く済ませたいから、感じてるフリをする時もある。だって、痛いんだから。元気な時なら良いけど、栄養不良過ぎて、点滴に病院に 通ってる時期だった。
多量の不正出血が有った時、検査したら癌だった。その時、ステー ジIIIcだった。子宮癌健診を、一回サボった間に……。
たからは、こんなガリガリな体によく勃つよなー、くらいに思って た。特殊な趣味なんだな、とか。
私も、ミキ君を馬鹿にしてるってことになる。ミキ君が働いてる間 に、無抵抗でたからに、好きなようにさせてるわけで。
無抵抗しか、この状況を乗り切る手段がないからだけど。暴れたと ころで、怪我するか消耗するかしか、結果としては存在しないじゃ ない。ミキ君に言って、たからとミキ君が険悪になり、 険悪の果てにどうなるか。喧嘩とかじゃなく。怨み合い、念と念で 潰れていくような二人を見たくない。しかも、それ、私が死ぬ前に 。
どうせ死ぬのなら、お墓まで口を噤んで。二人が、穏やかに在るよ うに。この先も。私が死んでからも。
不倫は、先生の時で懲りていた。それなのに、今、その状態。
ミキ君に、たからのことを話したら、現実的にどうなるだろうと考 えた。とりあえずあっさり離婚だろうと思う。
ミキ君は「浮気したら離婚」と言っていた。若い時にモテまくって いたミキ君だけど、結婚したらこうすべき、という意志が強くあっ て、真面目だった。
たからとも、バカみたいな真正面からぶつかる喧嘩はしないとわか っていた。慰謝料のことや何か、事務的な話だけだろうって。
でも、思念では、たからを殺すし、たからはミキ君の思念を捻り潰 してしまうだろう。それは実際に、ミキ君を病ませてしまう。
こーちゃんのことは、二人に知らせたくない。二人に対して、無責任に見えるだろうけど。
私は子育てに関しては、男が無能だ、と思っていた。ほぼ無能。ほ とんど、ママがやるもの。だから、命を懸けて産む禊が女だけに与えられる。
男を嘗めてると言われたら、そうなる。
教育と、子育ては違うと思っていて。
教育は、男にも出来るけど。子育てというもの、例えばお乳をあげ ることは、男には出来ない。
粉ミルクを作ってあげることは、出来るけど。きちんと哺乳瓶を消 毒して、小さなブラシで洗って、の繰り返しや、 ミルクの温度の管理を、それを一日中毎日毎日繰り返すことを、仕 事を休んでまでやってくれる男が、どれくらいいるだろう。
赤ちゃんのお世話は、大変。
一日何回も、ゆるゆるのウンチが飛び散ったオムツを取り替えて取 り替えて、おしっこも何回もするのだから、きちんとお尻拭きで拭 いてあげないと、すぐ皮膚がかぶれてしまうのだし。
お風呂に気をつけて入れて、室内の温度や乾燥に気をつけて、産後 の心身がバラバラで疲労困憊で、痔にも便秘にも貧血にもなる中で 、縫ったお股も痛い中で、赤ちゃんが優先。24時間。
男はまず、出産と同レベルの痛みで死ぬのだから。
ちょっと想像して欲しいのだけど、お尻辺りを切られて縫われて、 全治一か月の怪我が回復しない内に、ふにゃふにゃの柔らかな赤ち ゃんを24時間面倒見ろ!目を離したらこの命は死ぬんだぞ、 とプレッシャーを周囲から、かけられ続けるの。 心と体が壊れない人のほうが、少ない。
歩くようになったら、ますます目が離せない。ご飯も、量とバラン スに気をつけないといけないし、叱りかたも考えないと、 日々の接しかたの全てが、後々の子供の人生に影響していく。
大げさな話じゃなくて。子育ては、大変。
道徳や、勉強を教えることは楽。教育だって本当は難しいのだけれ ど、子育てというのは、もっと大規模だ。 命と命が成長し合って響き合う、戦いの日々だ。
男は子育てには、あんまり参加出来ないと思って来た。私がこうだ から、ミキ君も参加しないのかもだけど。私が、参加させてなかっ たのかもだけど。
ミキ君は、とりあえず仕事で疲れたから癒して、という求めだけだ 。
たからも、そうだ。今まで面倒見て来たんだから、愛して来たんだ から、早く愛して。もっと愛して。もっともっと深く愛して、 という求めだけ。たからがどんなに、愛情を籠めて触って来ても、 その時の私には、たからは押しつけがましいなあ、と感じられた。
薄情かもしれないけれど、体調が悪い時期だからこそ、裏側が見え る。光輝く愛の裏側の部分。たからは、私が癌だとわかったから、 このまま死ぬなんて許さないと思ったんじゃないかしら。
孤独だなと思った。誰からも、心が離れていた。闘病は、こーちゃ んのために頑張るけれど。
ミキ君もたからも、関係なかった。もっとはっきり言ってしまえば 、眼中になかった。だって具合が悪いだもの。
癌の恐怖、痛み、薬の吐き気、不安、それらは絶対な、大きなもの 。
付近にいる、身勝手な異性なんかどうだって良かった。でも、彼ら は愛情も確かに持っていた。その愛情は、感じることが出来たけれ ど
…
子供の存在のほうが、もっと絶対的だった。娘がいるのだから、生 きたいよ。
病気というのは、神様のお計らい、思し召し、全ては神様の御心。
でも、私はやっぱ、ちょっとおかしいんだなと思う。病んでるとい うか、考えかたに闇があるんだなあ、とも思った。たからや、 ミキ君に対する想いは、なんだかとても、ある意味では凍てついた ものだった。冷めたものというよりは、氷のようなもの。 上手く言えないけれど。
ミキ君には、感謝している。苦しい時を支えてくれて。
たからにも、感謝している。子供の時に、私を生きさせてくれて。
傍にいてくれて、ありがとう。
だから、男である彼ら二人が、その時その時に求める単発的な望み は、なるべく叶えよう。
でも、子供は一人で育てていこうと思った。
ミキ君とは離婚して、たからとも再婚をせずに。
ミキ君と、決定的に別れようと思った夜は、何の準備もない中で、急に訪れてしまった。
小さな丸太のような、太めの木の枝、というより木の股のような器 具を入れようと光生君がして来て、入るわけなかったけど大出血し て、激痛と貧血があまりにも酷かったから、たからを呼んだ。 夜中、過ぎだった。
『お腹からたくさん出血しているので、痛くて、病院に行きます。 たからに連れて行って貰います。こーちゃんは、明日保育園へ迎え に行くので、朝、ちゃんとご飯を食べさせて園バスに乗せてくださ い。お弁当はキッチンにあります。』
書き置きした。もっと色々書きたかったけど。
ミキ君は満足して寝ていた。
たからが来る前に、処方されていたロキソニンを二錠飲んだ。全然 効かなかった。
こーちゃんを撫でていたら、たからが『着いた』とLINEをくれた。
重いドアを開けて外に出た時の、すうっと入ってきた夜の匂いが忘れられない。
エントランスのところで、ぎゅっと抱き締めて来た、 たからのジャケットの匂い、香水の匂い、たからの部屋の匂い、た から自身の匂いも忘れない。本当は、ここが私の居場所なのかなと 思った。たからのいる場所が、私の居場所なのかも。やっぱり、 本当は、最初から。
でも、私は間違えてない。今までは、たからと一緒にいられなかっ た。一緒にいる時の流れでは、なかった。
じゃあ、これからは……?
急患センターに行って、麻酔して、傷口を縫った。たからが、受付 で診断書を頼んでいた。
なっちゃんとの新居に連れて行ってくれたけど、なっちゃんはいな かった。
広く、寒々としたマンションだった。どこもかしこも、白くて。白 い壁、白い天井、白い家具。
リビングは可愛い感じだったけれど、なっちゃんのいない場所で飾 られているインテリアの雑貨は、なっちゃんがここで過ごした短い 期間の寂しさを、静かに物語ってる。
たからの部屋は、逆に黒いデスクやパソコンだらけで。何だか、たからの静かな狂気や、同時にそこに潜む優しさを、感じたりした。
二人の関係の、アンバランスさが家の空気に反映されていた。なっちゃんは、健全なのに。たからの昏い気で修復出来ないくらいに、 病んでいったんだ。
たからは神経質に手や顔を洗って、うがいをして、玄関をなぜか掃 除して、着替えてベッドを直して私を呼んだ。
こんなに、たからは神経質だったかなと思いながら、私も手を洗っ て顔も洗って、うがいをして。ベッドが外気に触れた服で汚れたら 、たからは嫌そうだったから、服を脱いで下着だけで、 たからの隣に入って目を瞑った。
たからの全身は、頑丈な鍵のようだなと思った。抱き締められると いうより、がっちりしがみつかれて眠った。でも、 それで安心して、眠った。
翌日、保育園に連絡して園長先生にも電話で話をして、たからがこ ーちゃんを迎えに行った。一応、手書きの私の委任状も持たせたけ ど、たからが仕事の途中でスーツで寄ったからか、明らかに立派に 見える人が迎えに来たからか、警戒はされなかったらしい。 電話で話が済んでたからか。
こーちゃんは、たからにすぐ駆け寄ったんだって。
一時的にだけど、こーちゃんとたからのマンションで過ごすことに なった。
たからは、ミキ君と二人で話し合ったと言ったけれど、内容は聞か せて貰えなかった。ただ、ミキ君は離婚に同意しているのだって。
私、手術が怖かった。治療なんか、したくなかった。しなくても生 きられる気がして。
たからに甘えたかったのかも知れない。泣いてばかりいた。
たからは、何度も私を殺そうとしていた。治療は苦しいから、いっそ、もう楽にしたいと思っていたようだ。治療しても、助かる見込 みもなかったから。
でもそんなこと、私は望んでいない。
こーちゃんが、たからの娘だよと明かしたのは、その頃だ。
たからは、信じられないって顔をしてた。それは、疑いからではな くて、嬉しさで。膝から、力が抜けたのか姿勢が崩れてたぐらいに 。
通販のDNAキットで、検査した結果を見せた。こういうのはAmazonにも売っていたくらいだから、需要が多くあるのだと思う 。
こーちゃんがいるのだから、私はたからに殺されないと思った。愛 する人を愛するあまりに殺めたいたからは、愛する人との愛すべき 子供を守る義務があって、愛する人と愛すべき子供を育てなきゃならない。
私が病死しても、愛すべき子供を守るために、生きていく。
たからがなっちゃんと結婚していた期間は、僅か二か月くらい。そ の内の半分は別居だった。
私は、ミキ君とは簡単に離婚になった。最初は弁護士さんを立てた けれど、慰謝料なし・養育費(扶養料も)なし・財産分与ありで、 財産分与は貯蓄だけを綺麗に分けることで、合意になった。
生命保険は解約なし。郵便局の学資保険は、名義を変更して、私が 積み立てすることになった。ミキ君に、解約返戻金の半分相当を支 払う……というのはなかった。 賃貸マンションだったから、後は車くらいだけど、私は運転をしな いので車はミキ君へ。
たからとは、入籍はまだだけど教会で神父様の前で、誓いを立てた 。
子宮癌だから、妊娠の心配がないという証明があり、離婚後にすぐ 再婚は出来る。
何だか、戸籍の上でだらしがないから、期間を空けたかった。でも 、こーちゃんのことを考えたら、たからに守って貰うのが一番だ。 それに、傍から見たら本当に男性にだらしがない、 だけなのだろうし。
ミキ君の実家は、大変なことになっていた。お母さんが特に、私に 対して〝お金に目がくらんで、冨岡(たから)の家に行くんだ〟 というふうだった。たからは、ミキ君が暴力をふるっていた話を、 ミキ君のお父さんには明かしていた。私の癌の治療にも、ミキ君が 夫としてノータッチじゃないか、というふうに責めていた。
こーちゃんをミキ君の実家で預かる、と言われたりした。保育園に 、ミキ君のお母さんが勝手に行ったりして、迷惑がかかっていた。
たからに、こーちゃんのために手術を受けると伝えた。たからのた めでも、ミキ君のためでもない。
たからは、私がもし死んだらフランスで、こーちゃんを育てたいと 言った。ミキ君の実家が、何か、ちょっとおかしいからだ。 こーちゃんだけは、寄越せ‼︎という感じ。
たからがあっちで暮らすと言うからには、あっちで仕事をする算段 があるんだろう。たからは、実家が貿易の会社をやっているからな のか、お父さんに教えられて、早くから英語もフランス語も、話す ことが出来た。
親が一人で、小さな子を連れて海外に行くと
誘拐と思われて、入国拒否される場合があるらしい。離婚により親 同士が親権を争って、片方の親が、子供を海外に連れて逃げたりす るケースも。
だから、英語で委任状を手書きした。たからは正当な父親だという こと、私が自らの意思で、たからに子育てを任せていること。 など。
お父さん、お母さん、たからの実家では、なかなか理解して貰えな いと思っていた。私はたからの家を、何にも言わずに飛び出したの だし。そのことから、まず謝った。
逆に、お父さんとお母さんが私に謝ってくれたので、びっくりした 。お母さんは、私のことを可愛がってくれただけなのに、 そのことが当時、気に障ったんじゃないかとか、気にしていた。 そんなの、とんでもなかった。
どこまでも優しいご両親。たからの実家で、温かく過ごさせて頂い て、今、また、温かく迎えて貰えて、私はこんな生きかたなのに… …
どうして、こんなに優しいの。
たからは、「華がこの人生の全てだ」とお父さんお母さんの前で言 って、泣いた。たからの表情が、高校生の時の表情に戻っていた。 私は、それを見て、もう絶対に、たからから離れてはいけないと、 苦しいぐらいに感じた。
手術の前後は、あまり覚えていない。
痛みがどんどんひどくなり、薬で眠っていた。もう、どこが痛いの かもわからない。本当に痛いのかもわからない。引きずり込まれる ような、眠り。
目を覚ますと、たからが必ず側にいてくれた。たからは、私のこと を看護するために仕事を辞めていた。
手術そのものは成功したそうなのだけど、手術後に心臓が一回、止 まったのだそう。
起きたら、声は出せなかった。喉にも鼻にも、人工呼吸器が入って た。全身動けない。オムツの感触。痛かったので、 導尿管も入っているとわかったし、両腕が点滴だった。腕には、動 かないようにサポーターがついていた。
長い夢が見られた気がした。長い長い、たからとの出逢いからの夢 。それで、ずっと、たからの近くにいられた夢。私がたからの近く に行っていたと言うより、たからが私の近くに漂っていて、深く支えていてくれたのだなあと思った。今までの、子供の頃から。
ミキ君が自殺未遂をしたことを、私はどうして知ったのだろう。ミ キ君が首を吊ってしまい、ICUに入っていると聞いてから、言葉 、声が出なくなってしまった。自傷もした。私が自罰で体を傷つけ たら、ミキ君を助けられると思った。声は、少ししたら出るように なったけど悲しくて、寂しい言葉を言わないように気をつけた。
夜、朝、また朝。夕方、朝方、また夕方。毎日毎日、たからは病室 にいた。
目が覚めた時には、間違いなくいつも、たからがいた。たからと一 緒にいられることが、なんだか信じられなかった。嬉しかった。 本当は、ずっと、一緒にいたかったの。
こーちゃんが時々、来てはきらきら輝くような笑い声を、空気中に 振りまいていく。元気のかたまり。こーちゃんは、天使みたいな子だ。
それを、たからに話したら「華が天使だから、こーも天使なんだ」 と生真面目に言う。
たからだって、天使の心を持っているんじゃないの?
ミキ君は、一般病棟に移れたけれど両手両足に麻痺があり、下半身 は特に動かないという。そして言語障害があり、話すことは一切出 来ない、と聞いた。
たからに、お願いをした。
私がミキ君を介護出来たら良いのだけど、体が動かないから、代わ りにしばらくの間だけ、ミキ君を見てほしいとお願いをした。
ミキ君を嫌っていたたからだけど、献身的にミキ君の介護をしてく れた。近くのマンションにミキ君を住まわせて、ミキ君の生活費も 出していた。
いくら投資でたくさんのお金があっても、大変な額だ。たからは、 「こうなったのは俺の責任」と言っていた。
ミキ君は一人ではお風呂に入れず、食事も出来なかった。介護ヘル パーさんに来て頂いていた。ミキ君のお父さんも来てくれたけど、 ミキ君のお母さんは鬱になり、寝込んでしまった。
たからはミキ君のお世話を頑張っているようで、実はミキ君を精神 的に、経済的に支配している部分があった。
今までも、ミキ君を上手に頼らせて信用させていて、素直なミキ君 はたからがいないと、何も出来なくなりそう。
私は時々、心配で様子を見に行った。
まだ私自身、療養中で体が動かなかったけれど、近所だったから歩 いた。
ミキ君は、会いに行くと言葉にならない言葉で、うーうー、と唸る 。私を責めている時もあるし、命令している時もあった。もう奥さ んじゃないのに、口や手でミキ君の性の介護をしていた。
やらされていたのではなくて、義務に思った。ミキ君は、それが当 然と思っていた。
たからがイライラしていたのは、だからだと思う。そのイライラを 、ミキ君にぶつけていた。
ミキ君の前で、キスしたりだとか、嫌な場面をミキ君に見せては喜 んでいた。たからの意識は、暗い。それで後から自己嫌悪するよう で、またイライラしていた。
ミキ君と、たからは仲良くは出来ないらしかった。私はなるべく、 二人の間では存在を消すようにした。こーちゃんだけが、二人を表面上は仲良くさせることが出来た。
ミキ君は、体は何とか動くようになり、家でパソコンを使う仕事、 エンジニアとして再就職をした。一般的な人よりは、パソコンがか なり得意だったのと、ミキ君のお父さんがそういう会社の、 偉い人だったからだ。定年退職していたけれど、 紹介で入れたと聞いた。
今の私の願いは、自立。私もそうだけど、ミキ君も、たからも。精 神、魂の自立だ。
三人共が影響し合うから、三人がお互いに頼らず、期待をせず、許 し、慈愛を以て生きられるように。願っている。
たからと、ミキ君を守りたいと願う。
彼らに、傷つけられたなんて思ったことはない。私が傷つけて来た んだと思って、消えたくなったことは何度もある。 でもそれも違う。
人の縁の糸の繋がりと、優しさに感謝をしている。どんな苦しみも 、痛みも、神様がくださった贈りものだと思っている。
みんなで笑いたいと願うのは、都合が良い、ばかばかしい願いかも しれないけれど、私は愚かに毎日、朝も晩も真昼も夕暮れにも、 祈り続けている。
この家族の幸福を。恵まれた日々を。